まあ、仕方ないよね。



所詮、副次的な表現には限界があるものさ。


銃の所持が認められている社会ではそりゃ遠ざけたいよのさ。あんな暴力漫画。



それでも主旨を評価されたかったのなら、もう少し死神の反省とか、触手にて弱き者に生まれ変われることの意味とかいうものを掘り下げなくてはならなかったろうし。



まぁやっぱり、副次的表現の限界だね。


オリジナルにちゃんと報酬がいってれば、世界最先端の新たな法律や価値観の模索ということで、限界突破もあったかもしれないけど。加減を知らぬ中央集権主義の見栄があるからには、そこに踏み込めなかったんゃろ。まったく…、なんのための算数だよ。






ていうか逆に、なんでアメリカの漫画は気軽にこっちで目にしないんだろね。アメリカの漫画は日本にとっては禁書ばっかりってことなの?








√8






那向米


追記:ちょっと調べて思い出しました。アメリカの漫画は競争原理が働かないほど下火、良く言ってクリエイターがあまり熱を上げてチカラを入れていない領域なんでした。日本の如(ごた)ぁな、簡略好きな記号主義の脈流が歴史的に無いから、写実主義の良さと悪さが漫画に出ているのでした。代わりにやっぱ映画は凄いもんね。

 まあ、その見解を知って何十年経ったから、なんか流れに新しい動きでもあったかな、と思い起こしたとでもしとこうか。けど何と、前より下火になっとるげな。げな ≒ らしい。