地球の重力加速度を考慮すれば踏み足と引き上げ足とが左右逆転するのは道理だが、
もしも他方の踏み足がもう一方の引き上げ足にとっての重力加速度だとしたら、実は理論上、いつまで経っても左右逆転しない。
大きな加速度を生み出すペダリングというのはそういうもののはずで、地球の重力加速度に技能の基準や水平を得ているようではどれだけ時間をかけて努力しようと上記の理路を行けない。
しかし地球の重力加速度から次のオーダーを受けずにというのはやはり自転車の左右非対称性を無視しているわけだから、それは転倒にしか行き着かないだろうよ。
本質としては自身の重心をできるだけ最短距離で揺らして理路を行きたいわけだが、それは前提として踏み足が…といえなくなる堕落であろう。
左右の相互作用で相乗効果を産みたいのであれば、ちょうど手でも片手が留心を担当するように、足もまた片足が留心を担当せねばならない。つまり同時同角には開旋できないから、プロのペダリングはひたすら真面目にその現実を認めつづけるのだが。
おそらく私はその真面目が1回転において4つの機にしかないのが気に喰わないのであろう。なぜもっと存在のように、常に満ちて留心と動心とを連続させていられないのか、苛ついているんだ。
なぜってそれは、いつも1点を求めて必死であるという、生き物として極めて脆弱な意識のためだ。そこまで切り刻まれるのが常識になってしまった非常識の所為だ。
あと、体と頭で左右がねじけているせいでもある。
頭の芯まで足にならねばならんのに、まだどこか頭は頭で居ようとするから何も進まない何も変わらない。
そろそろ頭脳派を憎んでみたらどうなんだ。
なぜそんなにも頭脳を立ててやる必要がある。
くやしいからだ。
くやしいんだよ。切り刻まれなければ変幻自在だったはずなのに、切り刻まれたから、あと、体と頭で左右が…なんて自体が起きた。普通はそこ、揃っているはずなんだろ。揃っていたはずだったろ。
重力にまず整えさせるのが請願で、そこから競えると疑っていない。でもそんな所に誰も居ないんだ。誰も居ないのに競えるわけがないよ。
もう最近は切り刻まれていないはずだろ。切り刻まれた幼心と切り刻まれなくなったオッサンの思い。仲良く心銀で公転しているだろ。
マシンは、そんな心銀事情なんかお構いなしに解剖学の筋繊維の思考を押し付けてくる。死ね!死ね!と言われているようなもんなのに何故そんなに通えるんだ毎晩毎晩。
生きろ生きろと言ってくれるドカ食いタイムがちゃんとあるから、安心して死ね死ね悪態つかれることができんだよ。
だったらもっと死ね!
イヤだね!胃袋にも食材にも限りはある!
ひたすら自身をぶっ殺して蘇生して粉々に強くなりたいのに、虚重量がボクを惑わす。
マシンの重量のすべて最大を扱えても、その回数が際限なく増やせても、それが心銀に准えていなければ何の意味もない。
心銀、よく分かるときと分からないときとあるだろうが。
ある。
右を下にして横になったとき、頭から足まで公転すべきなのか、脇腹から背中まで公転すべきなのか分からなくなる。
それは自分が自身を下に見ている証拠だ。
もし自分が自身を上に見ていたなら、背中から脇腹まで公転してもおかしくないんだぞ。
あー〜。たしかに。
自分を見返さないとしたら、いわゆる行儀の良い姿勢でしか心銀は成り立たない。
とすると、外にあっては入口を求め心銀を行い、内にあっては出口を求めて心銀を行い、家では心銀が行えない。
まあ、やはり、3種目必死にやれば、帰宅すべきだよ。
日々の積み重ねが大事なんだってば。
今晩もよくやったと思えよ、どこにあるかもどれくらいバラバラかもわからない、自分。
√5
南無醒案仏