こんばんは。
rute5です。
わがバイト先にもワクルス副作用の不穏さが襲い来たのではないかという夜です。ただ、詳細が判明したとしても、これ以上を書くつもりはありません。
わしは此度のブースター接種ワクルスには反対です。最初からおかしいから止めておけと言っています。'犠牲者'を盾にした論調は、八女の看護師さんのときにさんざ、思い切りやりました。それ以上多くの'犠牲者'を盾にする気はありません。どうか皆さん。遵法精神と自由かつ自律した思考をもって判断し、生きてください。
二重所有、
という観点について説明いたします。
この人生。
どうしてこんなにももどかしく、思い通りにならず、遠回りせねばならないことだらけなのだろうかと考えたすえ、思いいたりました。
人は生まれ、何れ死にます。
つまりは人にとって所有物というのは有形無形問わず、必ずいつかは滅びるもの…、それをして諸行無常とか無所有主義だとか、持ったってしょうがないじゃん?的な思想はそこかしこで流行していますよね。
けれども、わたしはこう考えたのです。
誰かが持っているものは、いずれ究極はその誰かの死を境に、別の誰かの持ちものとなる。あるいは同じ無形のものを、同時に持ち得ることもあり得る。これすなわち長い目で見れば、いつでも所有物というのは有形無形問わず、二重以上の所有者が存在しているということではないか、と。
あらゆるものが、二重(以上)所有。シェア、とはちょっと違うし、不倫と同じとされたくもないけれど。
法に基づき所有者は決まっておるけれども、つねに別の誰かの影はつきまとうもの。
もしも所有して独占的に愛したいのならば、その別の誰かの影をもまるごと愛さねばならない。それがイヤで丁寧に分別をつけるのであれば、それまた相応に手間をようする。
生死あればこそ、ものはいつでも二重(以上)所有。いつでもその二つ目(ふたりめ)以上を意識することで寧ろ、とりつくしまが確保でき、長く独占的に所有が可能になるのではないか。
たとえば父親というものは我が父であると同時に母親の夫なのである。
子は利害関係を手前勝手に思考し、だいたいはそれで正解なのだけれども、じつは母親の夫としての領分を害するほどの自由や利益は、母親から損なわれる。
共同親権も然り。
国際金融資本を潰すだどうだの話も然り。
'二重所有''を考慮すれば自然と望ましいほうへ話は進む。
そういうことなのではないかと。
まだ、多少ボンヤリした論調ではありますが、わしは銀行がまるで現金のワープゾーンのようにして機能するのは、たとえばサイクリングにおいて具体的に役立ったことから、そう単純には 潰すべき金貸し屋 とだけ見做せないように思い、そのかわり、そこに束縛されないためにはという思いの詰まるところに、二重所有を思いつきました。
所有物の行く先、その展開を読むのに、独占所有だと幾ら言っても盗むやつは盗むという話しです。
さあ盗まれないためには、という観点。
そもそもそれはこのまま策を講じぬのであれば泥棒のものでもあるのかもしれない、という逆説。
そこから、法律による所有権の庇護と、防犯のための策を思い浮かべる。
ひとの目や耳がなぜ基本的にはふたつあるのか。
これすなわち、ひとつのものに対して、一人で二重所有を可能とし、より立体的で確かな関わりを実現するためと見出したり。
南無候