これこれこうすればうまくいく。


自分で努力して行き着いた答えを、自ら捨てようとするやつが、自身の中にいる。




なるほどそいつは他者の中にもいて、そのせいで他者も自分も、ときどき間違いをオレに強いてくるのだな?




つまり自分ぶんだけ正解を思いついて実践しようとしても、引き分けにしかならず。

引き分けの状態で他者に間違いを指示されれば間違いに転ぶわけだ。




間違いは、数の多さで攻めてくる。


真っ向勝負すれば負けるだけ。


巻き返したのは如来のふり。


今はなんか、それすらできないでいるけど、


如来のふりしたときに、枕が逆だったと気づいた。


枕をわし用に正してから、引き分けではなく、打ち勝てるようになった。


この休み方で自転車乗って、タイムが良くならなかったことは無いんだ。

この休み方は、自転車乗りならやらねばならぬ休み方だから。


自転車は意識のない物質だけど、

人間は自転車のその無愛想に勝つことはできないけれど、

唯一、勝てる時間があり、それが、寝てるとき。

寝てるときに、自転車の悪い癖に打ち勝ち続ければ、実際自転車に乗るとき、自転車に足元を掬われずに済む。




分かりきっていたことでも、


寝させまいとする何かは、それを破壊する。


破壊されれば、忘れ、また自転車の悪い癖が退場方向へと体を誘い始める。





寝させまいとする何かを憎もう。


一日3食で睡眠時間8時間は寝過ぎだろうが、

一日2食で睡眠時間8時間はまともだ。

一日1食で睡眠時間8時間は少ないくらい。


言い換えると、

食わせまいとする何かも憎もう。


食事と運動のバランス、

睡眠と労働のバランス、


それを論じる人は多いけれど、


食事と睡眠のバランスを論じる人は、いまここに初めて現れたのではないか?


働かざる者食うべからず、の、現代版。


食うなら寝るな、寝るなら食うな。



醒案如来を信じます。