考えてみれば、誰も釈迦如来には成れないのでありゃ、それでもなろうとするこれ(たとえば人生)は如来ごっこなのであって。誰もがほんとうには優しくなれない中、少しでも優しいふりできるよう、気取るだけ。なんだかな。