おはようございます☁。

 走行レポを後回しにして、善悪話をします rute5です。

 脇田海岸で夜に走行することがあるのは、制限速度表示がなく、道路脇に駐車可能なスペースもあり、かつ、難癖をつけてきそうな警察がどうもパトロールをするコースに入れてなさそうな感じがするからです。
 見通しよく制限速度表示もなくスピード違反者はほとんど居ない。駐車可能なスペースに駐車しているクルマからは駐禁罰金がとれないため、パトロールする意味が無いと判断しているのでしょうか。
 もと太宰府市民だった わしが、ここは警察が来ないなと気づいたくらいです。地元民が知らない訳はなさそうです。

 こんなことをなぜ走行レポに先立って考えるかというと、どうもあの道、夜中に犯罪に使われていそうだからなんですよね。
 わしは基本的に走行に集中していますから、何をしていたか詳しくは見ていませんが、違法レベルの爆音を鳴らす若者たちの単車やら自動車が、その若者たちよりは年上の、わしよりは年下そうな、筋肉鍛えてそうな者の到着を待っていた夜がありました。一昨日の夜です。
 筋肉鍛えてそうな者は駐車可能なスペースに駐車せず、道のまんなかにクルマを止めて降りてきて、何やら若者たちとコンタクトをとっていました。

 どう〜も、'においます'よね。

 あれ、麻薬をわたしてませんでしたかね。

 若者たちはその若さでどうしてそんな単車が持てるかな?という感じです。
 察していくに、親が金持ち(社会的地位のあるとされるものたち)で、オカネを違法行為に用いているか、親もその筋肉鍛えていそうな者たちと通じていて、先にオカネはわたしていた、と、そんなソーゾーができてしまうのです。嫌マフィアのTweetの読みすぎってのもあるかもしれません。単なるちょい悪どもの先輩後輩なのかもね。
 しかし、あの道のパトカーの通らなさは、ほかの道でのパトカーの通り方に比べたらものすごいものがあります。わしは自転車でとにかく色んな時間帯でいろんな道を走る人間なので、パトカーがよくパトロールする道、あまりしない道、全然しない道のデータベースが結構頭ん中にあります。あの脇田海岸の道はパトカーまじで通らなさすぎです。

 君主危うきに近寄らず。

 夜にあの道を走るのは辞めておいたほうがいいのかもしれません。
 しかし昼夜問わず駐車可能な道、パトカーが来ない道、制限速度表示がない道というのは、違法行為をしないまでも難癖をつけられたくないスピード自転車乗りにとって、非常に有益です。しかもあの道は、元嫁と初めて北九州を訪れたときに目指した道でもあり、わしにとってそこで自転車走行が巧く強くなれたなら言うことないのです。

 もしもあの若者たちがマフィアとつながる者たちであれば、わしはこうして、善なる動機づけでマフィアと遭遇することになります。
 社会をみわたすに、大体が善なる者が実力実績を積み上げて行けば、マフィアという悪なる者と遭遇することになり、そこで搾取されるか、殺されるか(!)その二択を迫られているように見受けます。

 わしはいかにも走行に集中しているトレーニングマンです。
 別段、真夜中にランニングするひとも他に、稀にいる道ではあるので、あの道をマフィアが専有しているというわけでもなさそうです。
 タイミングをもって、悪用しているだけなのかもしれません。

 考えるのは、警察というのは一時期国家指定暴力団警察組という呼び方をわしが個人的にしていたくらい、理不尽で違法な拘束をすることもあるやつらなので、マフィアと通じているオソレは多分にあって。もしもわしが素朴に、あそこパトロールしたほうがいいんじゃないですか?なんてことを提案したら、そこから情報が寧ろマフィアに通じてマークされてしまうのではないか、ということです。
 わしは警察を信用していません。
 実子連れ去られを被害と見ないまま、世帯主であるわしが今夜は10時には帰るよう義母に深刻な言い方で告げたにも関わらず居座った、プライバシー侵害を発端とした喧嘩であるという経緯も理解せず、義母の告げた言葉の側に立ち、一方的にわしを悪者にしたてあげつづけた戸畑警察、八幡警察、彼らを本質的に信用していません。
 ですからわしが、上記の素朴な提案をすることはありえません。多分それは先ずそれで正解ゃと思います。

 やれやれ。

 誰かをかばう人はアホに見える、か。

 隻眼の父親に強く協力を要請できないから、嫁子供に逃げられてすらオカネをわたしながら、働きながらトレーニングしなくてはならないから、脇田海岸のような道を見つけたというのは、まさに父親や元嫁子供らをかばうためにアホなやつになっている状態ですよ。

 わしがもし不審死を遂げたら、こういった流れによるものだと思ってください。
 ハッキリ言ってこのブログは遺言でもあります。
 わしは決して自殺するつもりはないつもりですが、何度か気持ち的にはしようと思ったってしなかった人間ですが、もし自殺のような遺体あるいははっきりとした他殺体になってしまったなら、それはこのような流れによる、善悪の遭遇のはてであると思ってください。


 少子高齢化社会は善悪のコミュニティーが窮屈な空間に存在することで、遭遇する確率の上がる社会です。

 コロナ禍もそれで、ノロウイルス、インフルエンザウイルス、風邪…さまざまなそのシュの病気が新型コロナに一本化されています。その一本化だけなら単なる合理化ですが、ヨモギやイベルメクチンなどの治療法が誰もの主な意識に台頭しないのであれば、それは政治のカタチと結託している悪意です。
 基本的に善良なれども中々プライドが高くて団結できない、速度違反などの違法行為に関して案外嫌悪感の少ない、この国に大勢いる、それぞれの価値観、それぞれの常識を信じ込んで動かない庶民たちが、搾取どころか削減されようとしています。

 ここらへんが、わかりやすい殺し合い戦争のない '平和な社会'のせいぜいなんでしょうか。ここらへんが限界なんでしょうか。

 わしは神々を、人々を支配する雲の上の存在とはイメージしません。
 神々はすべての生き物たちの心の中にあるはずの光りです。
 言い換えれば判断です。
 判断が殺害方に向けば悪魔、生産方に向けば神。

 わしとしてもその都度、判断するとしましょうか。
 クソベンゴシたちやワカランチンケーソツども、そして卑怯なモトヨメ達に遭遇してしまった時点で、わしの大部分は滅ぼされました。
 それでもわしが続けている自転車で、それでも貫けず潰されてしまうならそれはもう、わしのその道での限界でもあるでしょう。

 判断し、生き残ってみましょう。

 とりあえず善悪が棲み分けしづらい社会になっているというのは、ほんとうの話です。




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