世界に誇れる平和憲法。
わしはそれを特攻隊員たちがつくったのだと気づいた。
領土を守るために体当たりで軍艦という大量殺戮兵器を破壊しにかかった。
自分より大きなものに対する真正面からの体当たりというのは存在の主張であり、もっとも謙虚で切実な、疑いようのない正当防衛である。
死して領土を守らん。
この精神性こそが平和憲法の最たる主幹なのだから、日本国憲法はアメリカに押し付けられたわけでも日本の頭デッカチたちに発想されたものでもないんだよね。
大量殺戮兵器と兵器とが向き合って死者が出た精神性だけれども、兵器さえなければ死者を出さずに精神性が生きのびるわけだよ。
逆にいえば特に兵器を持たぬ者たちほどその精神性で生きれば、自ずと平和憲法の実現と維持は可能だという真理。兵器を持たぬ者たちが保身に走ることほど平和憲法を侮辱する非道は無かろう。
兵器を持つ者は保身に走れ。
兵器を持たぬ者は捨て身で生きろ。
侵略されていいわけではない。
死者を出して良い訳でもない。
特攻隊を神と崇め賛美したいわけでもないが、彼らが日本国憲法の中枢に居るのを忘れずに我々は今度は、彼らの精神性をこそ護る必要があるとおもう。
もし特攻隊員を神と崇めたいのであれば、それぞれの生誕地に小さな靖国神社を幾つも建てよ。
1箇所にまとめて建てるから 中央集権主義 = 極端なパワハラ になるんだろうが。
代わりに、もうそろそろ天神様(菅原道真)は崇める場所を減らしていいよ。
大宰府天満宮1000年祭の折り目を経て東北震災の科学的予言者である菅原道真の思い虚しく、またも1000年来の東北震災でフクシマまでおこした馬鹿さ加減に、いい加減道真も成仏しているはずだよ。
崇め奉っても、その精神性を引き継げないならなんの意味もないぜよ。