EMS、ダイエット腹巻き、重たいチョッキ、加圧下着を装着してK-POPを借りに歩いてきた。
昼ごはんの食材なども買った。豚の生姜焼きを食べようとおもう。

団地の敷地の端っこの、外の公道までの高い段差約2.6メートルを、最大限負荷を減らして飛び降りてみた。60センチくらいの落差にしたかな。

公道から敷地を見下ろすと、こんなところ降りられる訳がないと恐怖を感じたが、身長を利用し、ギリギリまで掴まり、重荷も先に落として土のところに着地すればなんてことはない衝撃だった。

こんなところ降りられる訳がないというのに似た恐怖を、嫁はオレのアスリートとして膨張したすがたを見るたびに感じていたのかもね。こんなひとと一緒に暮らせるわけがない、ってね。まだ一日7食食べても痩せてってた重労働の頃は、カッコイイ旦那、と思えもしていたんかもしれん。でも少しラクな近所の職場に転職して、ひとたびわざとウエイトを上げようとした瞬間、すぐさま嫁の態度が変わりはじめたのを、オレは見逃してはいない。

行きがけ、オレが来るのを遠くから発見して、甘えようかとゴロにゃんしはじめた野良猫が、オレが近づいて興味を示さず、あまり気を許していないのを見てとるとゴロにゃんをやめて逃げ出した。まだ少し甘えたそうにブロック塀の影でゴロにゃんしていたけれども。

オレだって、これまでガタイのいいアスリートを生で見て、優しそう、親しみやすいと感じられるひとはほとんどいなかった。
オレもまず、そう思われているのだろう。

とくに自転車乗りともなれば、公道で「殺すぞ!」「車道を走るなんて死にたいのか!」なんて、車内だから聞こえないだろうとおもっている運転手たちのおそろしい本性にさいなまれた結果、怖い思いが体に溜め込まれている。
到底、直面して怖いと思わずにはいられないものなんだろう。


中学生のころ、競輪選手になって自転車に馴染みつつオカネを稼ぎ、発明オフィスを開いていろいろ自転車部品などを発明したいと思っていたオレ。
初めて買った固定ギア車は、折りたたみ式。その折りたたみ機構の脆弱な空白部分にシリコンや金箔、エラストマーやクリア接着剤などを埋め込み、頑丈に、折りたためなくしてアルミフレームの中心部分にクッション性を持たせた改造をほどこし、11年くらい乗った。今年5月に赤信号無視されひっかけられ、廃車としたが。
まだ家の前にフレームは放置してある。

いまもまだその発明への思いはあるのはあるんだが、宮崎の税理士によってシリコン内蔵ギアが発明され、オレはオレの発明したかった部品のかなり核心を壊されてしまったおもいで、それを知った夜はフツーに、あ、もうオレ死なんとしょうがないっちゃろかー、と、人生の終わりを感じたものだ。しかしまだ右が重たい自転車が、左通行の日本社会によって自動車に轢かれる宿命にあることがその部品によって解決されたわけではないので、オレは生きる意味を残している。

左ペダルをわざと重たくしたり、わざと、ほんとのほんとに微妙に左に車輪が寄るようにフレームに歪みをつくったり、左が重たいフレームやクランクにしたり、競輪場でいえばカントをつけたりと、部品点数が自動車やガソリンバイクなどより少ない自転車でも、きちんと左右非対称性を解決できる手段はあるのである。
ただそれは、オカネがかかる、手間がかかるとして、あまりなされていないということ。
電動アシスト自転車のよいところは、その左右非対称性の解決がさりげなくなされている可能性がある部分である。設計者に聞いてみないとわからないけれども。

自転車の左右非対称性による危険がこの世から消え去るまで、オレはオカネさえ入るなら手間を遠慮なく惜しむというたぐいの社会通念とは闘いつづけるつもりだが、このやりかたで競輪選手になれるのか、ちょっと正直、わからない。

怖いおもいをし、怖いおもいをされてしまうオレ。
そんなオレはどこに行けるのだろう。

怖いおもいをさ'せ'ている、という指摘だけは、されたくないものである。