よく、血のつながり、という言葉は実の親子の絆をあらわすのにつかわれていますよね。

でも我々の血は最初こそ母乳などでつくられたとしても、あとはほかの生き物の栄養を分けてもらってつくられます。
一躰の鳥からムネとかモモとか、人類は分け合って食べています。
赤の他人と同じ鳥を食べることはザラですね。
その鳥がブラジルから来たり他県から来たりします。

大人になればなるほど世界中の食材によってつくられる血なのに、大人になったあと、血のつながりにどんな意味がありましょうか。

あと、母乳はたぶん、妊娠しないと出てこないのが普通やとおもいます。夫の体液が遺伝子的な鍵となって母乳がはじまるのだから、夫婦は血が混ざったのだと理解できます。
血のつながりでいえば、親子のつながりは子が大人になってからは夫婦のつながりに更新されるわけです。
そして、そのあとに、またあらたにうまれた子供との血のつながりが意識される。

大人になるまでの長い間、世界によって作られつづけた血と血が混ざり合うのはとてつもない規模の時間と時間との融合です。
親子の血のつながりどころの規模ではありません。
それなのに、いろんなブログなどをみると、そのことに意識のいかない離婚成立を望む母親ブログのなんと多いことか。

自分のお腹を痛めて産んだ子供は自分の所有物とでもいいたげな調子のなんと多いこと!
とてつもない時間の融合のために、男は出産のためにお腹を直接痛めないまでも、そのほかに女が絶対に経験しないような凄まじい疲労や苦痛を乗り越えてきたし、乗り越えていくにも関わらず、子供を我が物とする母親の、なんと傲慢なこと!

世界中によってつくられつづけている命なんだ。
そういう意識をもち、言葉にすれば、改善される夫婦関係はきっと、想像以上なんてレベルをはるかに超えてかなり多いはずです。

オレは、立派な犯罪だ、という背反的な言い方がとても嫌いです。危険なこと好ましくないことに対して、〜かもしれない、〜となる危険がある、と言わずに〜の可能性がある、というのもすごくイヤです。
ちょっと生じた目前の、異常めいた状況を尋常でないと頭の中で断じる前に、自分も相手も世界中からつくられつづけている体であるということを常に意識して、言葉にし、相手と言葉を共有してみてください。
ネットニュースやテレビのニュースなどで伝え聞く極端な事件をすぐ意識して夫婦間に挟んでしまわないでください。
目の前の、真剣に悩み苦しむひとが、1秒後にニュースで報じられがちな極端な事件を起こすわけがありません。
悩み苦しむひとが見捨てられ、孤独を強いられ、世界の共有を断じられ、悪口を浴びせられつづけたときに、はじめて極端な事件へと結びつくのだと思いとどまるべきです。

なんのために好きになったんです。
なんのための婚姻ですか。
孤独から救われ、また、救うための婚姻でしょうが。
救われたいだけで相手側の世界が長い間積み上げてきた命や存在を否定したり略奪したりすれば、当然否定し返される恐れはでてきますよ。なぜって、相手側の世界と自分側の世界は、じつのところ、なんだかんだと共通しているからです。相手への否定が、そうとは知らずに自己否定になってしまうわけです。

もっと、子宝に恵まれたほどの素晴らしい規模の良縁を大事になさってください。
世界中があなたがたの仲を認めたから、新しい命が誕生したんですよ。

オレは血のつながりはあまり重要視しませんが、命のつながりは重要視しています。
同僚と一緒に働くのも、バンクで一緒に走るのも命のつながりです。
命のつながりは血のつながりと違い、想像力なしには感じられませんが、あきらかに血のつながりよりも力強い現実として、確かな仕組みとして世の中をかたちづくっているからです。

SNSもメディアも、その命のつながりの、ほんの一部を記録しつづけているにすぎません。
それがすべてにならないで。
すれ違う通行人も、あなたやあなたの愛する人やあなたを愛する人の世界をつくってくれる重要人物です。
だからってセックスフリーになれって言うとんやないです。
目前のものだけが、世界のすべてと思わないでくれと言うとるんです。