父親とは。 | 北の国から天鳳

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自分の打ち方を確立させるためのブログです。自分のミス、考えを人に見てもらい自分の恥部を晒すブログです(意味深)

どうも 
父親がホスト、
母親がスナックに勤めていたのに
酒がそんなに強くないルタオです


近頃、時間の合間に
ブログを読むことを楽しみにしています。





どうせ麻雀関連でしょ?



と思うかもしれませんが


 

意外にも






夫婦生活、子育て、婚活 

を読んでいます( *´艸`)


麻雀関連はフォロワーさんのみで
探してまでは読みませんが
夫婦生活、子育て、婚活 

 

は率先して読んでまして

旦那さんの立ち回り
離婚の危機になってる夫婦
互いに不満を持っている両親
子育ての時の父親。

など奥さん、お母さん
目線での不満や願いを見て、
自分なりに結婚生活を円満に送れる
考え方を探しています。


特に育児の時の重視して
読んでる気がします。
最近の僕重いと思うのは

気のせいか

まず相手探せよ

という辛口のツッコミの
受付は現在行っておりません。




さて・・・ブログを読んでいて
僕の中でずっと悩んでた疑問が
浮かび上がってきました




それは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父親の存在意義。



珍しい話でもないんですが
僕の家は小学生頃から

母子家庭でしてね




恐らく、母子家庭育ちの男性は


「父親ってなんだっけ」

「子供とどう接すれば

いいんだろう」


この疑問に悩まされるのではないでしょうか
勿論、母子家庭に限った事ではなく
子を持つ、持とうとする
男性は全員通る道ですが
よりプレッシャーを感じてしまうと思います。



いつからだろうな

別れた父親の事を重ねて

父親の存在意義を

考えるようになったのは

昔の記憶を思い返して

父親の存在を懐かしむので

ちょっとお付き合いしてください♪





僕が父親と過ごしたと
はっきり覚えてる年齢は
4~5歳ぐらいの時からだろうか

特に印象に残ってるのは

雪祭りで肩車をしてもらった事。


ただ父親といっても
自営業で多忙なため会えるのは多くて
1~2ヶ月に1回
少ない時に3~4ヶ月に1回となっている
下手すればそれ以上。


オレと母親は二世帯住宅で
祖母、祖父が暮らす家に住んでいる
そこに父親が向かいに来て
父親の職場兼家へと向かう



悲しい事に祖母と祖父が
あまり父親の事を良く思っていないらしく
二世帯住宅とはいえ

こちら側の家に上げるのには

抵抗があったとか
父が家に来るのは、

誰かの誕生日やクリスマスの時ぐらい
それも毎回ではないが・・・


父の家というと
寝る、飯食うだけしかないような部屋で
がらーんとしている。
僕はいつも、
おもちゃやゲームボーイを

持参して遊んでた。


ただ父と会うと
必ずアイスをくれた。
しかも何故かいつもピノ


実はアイス好きな理由は
ここからかもしれません。

今はそうではないですが

昔は好きというより
思い出にしがまれている
中毒なだけかもしれないですけどねw





当時は父親に会えるだけで楽しみでしたが

僕覚えてる限りで





「父さん」




と一度も呼んだことないです。



なんだろうあまり会わないからか
恥ずかしかったのか、

何故か分からないが
呼んだことない。

もっと言うなら名前も知らない。


その行き来が数年続き


僕が小学4年生か5年生の時

特に何のイベントもないのに
その日珍しく父親が僕の家に
来る事になっていた。


僕は自分の部屋で

父親が早く来ることを
待ち遠しく思いながらゲームをしていた


ちなみにデジモンワールドという神ゲーだ





でもその気持ちも
一瞬で砕かれる。



 

 

父親が家に上がって来て
もののすぐだろう。




リビングから
母と父の怒鳴り声の言い合い
 

 

時間にすると
30分経たないぐらいだろうか
内容は聞き取れない、
 

だけど尋常ごとではないのは
子供でも分かる。


僕はもうゲーム所ではなかった
でも二人のもとに行く勇気もない
ゲーム内で無意味な行動ばかりをして
ただ、ただコントローラを握っているだけ

早く終わることを、

不安に震えながら

待っていることしかできなかった



やがて怒鳴り声は治まり
僕の部屋のほうに歩いてくる足音。

 


ドアが開き、そこに父の姿。



僕と父親は互いに顔を合わせ



ルタオ・・・
元気でな・・・


 

と涙流しながら笑顔でいってた。



普通なら

え?もう帰っちゃうの・・・?



とか言葉出ると思うが。


僕は言葉が出ず

ただ父親の顔を

じっと見ながら
涙流してた。



多分子供ながら察したんだろうね




もう会えない事を



そして父親は僕のもとから去っていた

 

この日が父との別れだった。




ほどなくして、母親に呼ばれ
リビングに行く。



泣き止んだばかりの母親から

こんな言葉が。



「もうパパには会えないから」



「ずっと?」




「うん」



「じゃ会いにいく・・・」



僕の言葉に母が声をあげる





あいつはあんたを
見捨てたんだ!



 

 

と怒鳴りながら言われたのを

鮮明に覚えてます


というより忘れることないだろう。




それから僕は父親に会いたいは

もちろんのこと
 

 

父親

 

という単語すら出さなくなった。

母の日だから

何かおいしいもの食べよう♪
となっても

父の日は何もない。


そもそも僕の中で
父の日ってのは存在しない

そう思い込んでいた。

 

父の日の特集のTVやっていたら

チャンネルを変える。

友達が父親という単語を出すと

遮るように話題を変える。


当時はそれぐらい過敏に

反応していた。

多分母親に対しての気遣いだと思う。


ただ別れの一件で

母親といるのが妙に気まずかった
一緒にいたくなった
の言い方が正しいか

どうして父親に会うのが楽しみなのか

なんとなく分かった。

 

「唯一自分を怒らなかった」
 

僕にとって父親は安堵の居場所だった

楽しいけど、恐怖の対象である母親

祖父は当時最も嫌いな相手

祖母は優しいが祖父と一緒にいるため

近づきにくかった。

なんとなく、家の居心地よくなかった。
考えた末にある決断に至った







父親に会いに行こう。

 

 

 

 

 

僕は母親や誰にも言わず
前もってこっそり準備をし



家出をする。

 

 

 

 

 

後半へ続きます。