
この表示に、親近感を覚えていきなりテンションが上がりつつ洞窟に潜入です。

現代から、

江戸時代へのタイムトンネル。

のような、
400年の歴史を持つ足尾銅山。
江戸時代の寛永通宝(一文銭)は、ここ足尾でも作られていて、足尾で作られた寛永通宝にはすべて裏に「足」の字が刻まれ、「足字銭」と呼ばれました。


坑道は1,200㎞にも及び、東京から博多までの距離に匹敵します。
そのうちの700mが観光用に整備されていて、トロッコで坑道へ入るのですからワクワクします。


かつての貨車も残っています。


足尾銅山は昭和48年(1973)に閉山しました。
足尾銅山の発展の影には、日本初の公害問題としても有名な「足尾銅山鉱毒事件」がありました。排出された鉱毒で、周辺の環境に甚大な被害を与えました。坑内廃水の浄水処理や煙害地の植林は、明治時代から今日まで続けられているのです。その努力の積み重ねから、今日では渡良瀬川に清流が、山々に緑が戻ってきました。
『安全專一』という言葉。

大正元年に小田川全之さん(古河鉱業足尾鉱業所所長)が、アメリカ産業界で提唱されていた「セーフティ・ファースト」を「安全專一」と訳して標示板をつくり、所内の安全活動を推進しました。そのホーロー板の数少ない残りが飾られています。安全に関わる方々はこれを見る度に気を引き締めることと思います。やがて、それは「安全第一」に変わります。品質第二、生産第三。安全は全てに優先するのです。
………………………………………
坑道から出ると、昭和の香りがたっぷり漂う土産売場に入ります。
銅製品がたくさんありますが、台所用品は除菌効果があって重宝しますね。

こちらのお店は喫茶店のようで、ラーメン店のようで。気になりますね。

…………………………………………
こちらは、わたらせ渓谷鐵道の足尾駅。

ここ足尾駅から終点間藤駅までは、鉄道紀行作家宮脇俊三さん(2003年ご逝去)のデビュー作『時刻表2万キロ』による国鉄全線完乗記録の最後の一区間でした。私の最も尊敬する作家である宮脇先生は、ここで何を想ったのでしょうか。暫く駅舎に佇んで目を閉じました。

足尾駅の片隅に留置された国鉄・JR足尾線時代のタラコ色の懐かしい車両。
…………………………………
温故知新。
何も得られないかも知れませんが、これからも古きを温め、ますます錆びていきたいと、あらためて誓った足尾放浪でした。