カトリックと正教会① | 元J民の色々考察ノート

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思うがまま好き勝手に考察を書いていきます

キリスト教は全世界に20億人以上の信者を擁しており、

おおまかにはカトリック教会東方正教会プロテスタント3つに大別されます。

 

ローマ教皇を頂点とするカトリックと、東欧で広まった正教会は、中世に分離しています。

元々「ひとつ」の宗派だったので、いずれも「元祖」を主張してきました。

カトリック教会と肩を並べる歴史を誇る、国際的な宗教である正教会は、

この日本においては、あまり知られていない存在です。

 

日本国内でキリスト教および関連宗派に所属する人は200万人弱だとされていますが

正教会は150年以上前に日本に伝わっているにも関わらず、信徒数は1万人にも及びません。

学校の「世界史」においても、「キリスト教」の分野はカトリック教会の歴史が大部分を

占めているような印象を受けます。

 

ほとんどの日本人にとって、キリスト教といえば「カトリック」か「プロテスタント」の

イメージを連想するのは間違いないのではないかと思います。

このいずれかに所属する信者達ですら、正教会についてよく知らない人が多いかもしれません。

 

私も、正教会とは直接の接点があるわけでないのですが

カトリック教会と比べると、正教会は東アジア的な宗教観に近いような印象を持っています。

 

ここからは、正教会カトリック教会とはどのように異なっているのか、

教義面ではなく、組織の構造や性質についての特徴を比較していきます。

 

 

 

ここからはカトリックと正教会の断片的な知識に基づいた

主観的な評価が含まれます

気分を害された方は速やかにブラウザバックしてください

 

 

カトリック教会は、教皇(法王)が最高位の権威者として頂点に君臨しています。

キリストの代理であり、使徒の頭たるペテロの後継者という肩書きを持っています。

神」と「信徒」の「教会」つまり「教皇」の率いる体制が据えられているため、

「神」に信仰を持つためには「教皇」の率いる体制に所属することが求められます。

全カトリック教徒の信仰は、教皇に依存していると評しても良いのかもしれません。

 

正教会における主教(高位の聖職者)は、

カトリック教会と比べると、権威者というより一聖職者としての色が強いように思われます。

大主教や総主教など広範囲を管理する主教はおり、形式的な序列も存在しますが、

各々は平等に近い立場のようで、カトリック教会ほどはっきりした上下関係はありません。

 

 

カトリック教会は組織構造はピラミッド型のヒエラルキー(上位に行くほど数が少ない)で、

組織に属する聖職者達は位階つまり階級によって立場、権威等がはっきり分けられています。

 

正教会は組織全体のワンマンリーダーが存在しません。

ロシア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会のように、

地域ごとに組織がそれぞれ独立しています。

各々が「正教会」というカテゴリに属しながらも、組織としての一本化はされていません。

 

 

過去カトリック教会「異教」つまり、他の宗教や思想を非常に敵視してきました。

かの悪名高い魔女狩りの慣習は、カトリックとその流れを汲むプロテスタント、

つまり西方教会の地域において広く行われていたことで有名です。

また、キリスト教で、サタン・ルシファー以外に「悪魔」とされている存在の多くは、

異教の神話の「神」が教会等によって「悪魔」扱いされてしまったものです。

 

一方、正教会が普及した東欧では、土着の信仰による風習が排除されないまま残り続けたり

教会の教えに取り込まれていった事例もあったとされています。

 

 

 

次に、歴史においてカトリック教会に見られる特徴について触れていきます。

 

一つ目は十字軍の関与です。

元々は中世のカトリック教会が、聖地の奪還を名目に遠征させた連合軍は、

イスラム教徒の領土に対する侵略を繰り返し、異教徒を散々に虐殺したばかりか、

正教会の領土や、同じカトリック教徒の国家すらも攻撃の的にしました。

当時カトリック教会の大きな責任は、

異教徒に対する侵攻略奪虐殺等を、「神の思し召し」とばかりに正当化したことです。

「聖戦」の名のもとに甚だしい蛮行が繰り返されたことは

現在のカトリック教会も認めるところであり、教皇が教会を代表して公に謝罪しています。

 

カトリック教会正教会は十字軍遠征の開始以前に相互破門を行って決裂していましたが、

完全なる断絶は、

十字軍の悪行に対する正教会側の反発が決定打だった、という考え方も存在します。

 

 

二つ目は、宗教改革です。

14世紀から15世紀頃、カトリック教会を改革しようとする活動家が現れました。

カトリック教会は彼らを権力でねじ伏せましたが、

16世紀の教皇が贖宥状(免罪符)を導入したことに対してルターが反発したことから、

カトリック教会の体制そのものから離脱しようとする動きが西欧の各地で広まっていき、

既存のカトリック教会に属さない新しいグループがプロテスタントとなりました。

西欧において、両宗派の血を血で洗う争いが非常に長い年月に渡り繰り広げられました。

 

大々的な規模の反発や離反が起きた原因が教会の体制にあったのは間違いありません

贖宥状はきっかけにすぎず、カトリック教会に属しているはずの信徒達が反感を抱くような

要因が非常に多かったのでしょう。

宗教改革により求心力を失ったカトリック教会が、異端分子に対する弾圧を激化させた結果、

魔女狩りと称して何万人もの男女が不当な嫌疑をかけられ、理不尽な拷問で処刑されました。

そして、この慣習はプロテスタントにも受け継がれてしまいました。

 

正教会においては、カトリック教会で起きたような、革命じみた宗教改革は見られません

宗教の体制に対する不満や反発の因子が爆発する要素が無かった、と言うべきでしょうか。

元々異教に対して寛容な姿勢だったこともあり、西欧のような魔女狩りが大規模に行われる

ことは無かったようです。

 

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中世から近世にかけてのキリスト教の歴史は、暗く、血塗られています。

キリスト教の文化に疎い日本人でも、「十字軍戦争」「異端審問」「魔女狩り」等については

多くの人がキリスト教における「負の歴史」だと認識しているでしょう。

これらの要素は西欧の西方教会、主にカトリック教会が行っていたことです。

 

 

キリストによって生み出され、元々はひとつだったはずの宗教が、

なぜ、これほどまでまったく異なった進展を遂げたのでしょうか。