ドストエフスキーが最後に住んだクズネーチヌィ横町5の家は今は彼の記念博物館となっている。中は彼が住んでいた当時の部屋の様子が再現されている。
地図1)クズネーチヌィ横町5
玄関にある行李
ドストエフスキーの2番目の妻、アンナ夫人は夫の本の出版・販売を行っていた。玄関にあるこの箱には彼の本が入れらており、業者が訪問してくると箱から出して渡していた。
ドストエフスキーにはアンナ夫人との間に4人の子供が生まれた(一人目の子は生まれてしばらくして死亡)。彼はかなりの子煩悩で、当時はまだ高価だったお菓子をたくさん子供に与えるため、夫人に怒られていたという。
アンナ夫人の部屋
ドストエフスキーとアンナ夫人との出会いは、1866年のことだった。その時、雑誌に ≪罪と罰≫ を連載中であったが、出版社とのある契約を思い出した。その前年にヨーロッパ旅行をした際、出版社に借金をしたのだが、その条件が、「期限までに小説を一つ書く、書かなければ彼の著作権を出版社に譲渡する」、というものであった。その期限はもう一ヵ月後に迫っていた。困った彼が友人に相談したところ、最近できた速記学校の助けを借りては、というアドバイスを受け、雇ったのがその学校の卒業生のアンナ・グリゴーリエブナ・スニートキナであった。1866年の10月、アンナは昼はドストエフスキーの口述を書き取り、夜はそれを清書し、わずか26日で小説 ≪賭博者≫ が完成し、ドストエフスキーは窮地を脱した。25歳の歳の差(ドストエフスキー45歳、アンナ20歳)にもかかわらず、2人は恋に落ち、その翌年の2月に結婚した
アンナ夫人
食堂
客間
ドストエフスキーの仕事部屋
時計は彼が他界した日時、1月28日、8時38分(午後)を示している。
奥にあるソファーで寝ていた。
地図2)アレクサンドル・ネフスキー大修道院
ドストエフスキーはこの修道院の墓地に埋葬された。
ドストエフスキーの墓
正面
右側 1821年10月30日に生まれた
左側 1881年1月28日に死んだ
アンナ・グリゴーリエブナ・ドストエフカヤ 1846-1918 作家の妻
アンドレイ・フョードロビチ・ドストエフスキー 1908-1968 作家の孫
ドストエフスキーの葬式の日の絵

















