私の父は、我が家では絶対的権力者でした。
逆らうことは許されず、いくら私がどうしても習いたいと言っても、自分がやらせたくない習い事は全て却下、父の敷いたレールの上を無理矢理走らされて来ました。お陰で私の人生は挫折と後悔の連続でした。
当時、高校生になった私の交遊関係にもいちいち口を出し、私がちょっとでも不良っぽい子と付き合おうもなら、家に呼びつけ無理矢理引き離されました。普通の家庭で普通に育ってきた子よりは、少し位グレている子の方が本質的には優しくて思い遣りが有ったので、私にとってはグレている子と一緒にいる方が居心地が良かったのです。
父は見た目だけで私の友達を判断してきました。いくら私が「あの子はお父さんが思っている様な子じゃない!」と抗議しても聞く耳を持ってはくれませんでした。
そのくせ事あるごとに「人は見た目じゃない中身だ!」と私には言い続けて来ました。

矛盾していると思いませんか?

人はいつか必ず死ぬ。だからと言って何人たりとも自ら命を絶つことは許されないはず。
何故なら人は誰かのために生きる義務があるはずだから…
とある日何を思ったのか私に「教育し直したらなあかんなぁ…」と言い出しました。

その言葉を聞いた私は人格を否定された気になり更には親まで否定されたと思いました。

そう、この結婚の最大の失敗は姑だったのです。

世のため人のため特に私のためにさっさとくたばりやがれこの糞ババア!と心の中で叫んでいました。
私は父母と言う名の毒親に育てられました。
私の発した言葉やした事が少しでも気に入らなければ、頭ごなしに怒鳴りつける。
私の考えが間違っていれば、端っから否定する。揚げ句は私の目の前で夫婦喧嘩を始め平気で何日も両親は口を利かない、そんな子供が普通に育つわけは有りませんよね?
私は結果的に、どう行動すれば相手が喜んでくれるか、どんな言葉が相手を喜ばせる事が出来るか、そんな事ばかり考えながら相手の顔色を伺いながらしか人と接する事が出来なくなってしまいました。 
人は私の事を素直ないい人だと言いますが、ただの八方美人、思っている事とは正反対の事を言っているだけなのです。
相手が思っている人物像を演じている自分が嫌になる事が多々あります。
時々何を考えているのかわからないと言われる事も有りますが、謂れの無い虐めを受けたくないが為に鋼鉄の仮面を被っているに過ぎないのです。
躾と言う名の虐待は、子供の人格を破壊します。
子供を頭ごなしに叱る前に、何故そんな事を言ったりしたりするのかを、問いただし何故それがいけない事なのかを諭してあげるべきではないでしょうか?
人は挫折したり道を踏み外したりしながら強く逞しく育っていく生き物だと私は思っています。
私は半年ほど前、縁あって一人の女性弁護士と出会いました。

その方は、依頼者一人一人に寄り添う誠実な弁護をしてこられた、心優しい誠実で思い遣りと正義感に溢れる、人の幸せを心底願っている素晴らしい方でした。

私はその方に、メールで思いきって虐めを苦にした自殺は加害者が直接手を下していないだけで、殺人と同じ虐めは犯罪なんだと訴えました。

メールに対する応答はまだありませんが、私はその人に出会わなければ、立ち上がり声を上げることは出来なかったかも知れません。

虐めを苦にした自殺に対しては殺人罪、虐めに対しては傷害罪の適応がされるよう法改正をを希望します。
虐めを苦に自殺する人達は何故、後を絶たないのでしょうか?

言葉による虐めを含め、虐めは傷害事件なのに、何故、虐めは無くならないのでしょうか?

虐めを苦に自殺された話が報道される度に、私に力があれば、自殺を思い止まらせることが出来たかも知れない。私の傲りかも知れませんが、そう思えてなりません。

未成年だからと言う理由だけで、遺族の納得のいく判決が下されないのも、理不尽でなりません。

何処かで断ち切らないと虐めの連鎖は終わらない。

人を死に追いやって、何の罰も受けず、罪を償わず、何事もなかったかのように日常生活を送っている加害者を、私は許さない。

かつて私を虐めていた加害同級生とすれ違ったら、捕まえて警察に突き出すかも知れません。

共感や賛同が得られましたら、このblogを拡散して下さい。
親を裏切ってはいけない。と言って教育する先生方や親は少なからず居ます。ですがそれは親の期待を裏切るなと言う意味だったりします。
本来、親を裏切らないと言う言葉の本当の意味は、親より先に死んなないと言うことではないでしょうか?
ただ、死ぬのに順番はありませんから、病気や事故で親より先に死んでしまう子供が居るのも悲しい現実です。
自ら命を絶つのは子供として、最大の親不孝であり、親に対しての最大の裏切りになるのではないでしょうか?