高校時代からの40年来の親友が8月に余命1年の宣告を受けたと、共通の友人から知らされました。
当初は現実を受け入れられず、何を食べても美味しいと感じられず、泣いてばかりいました。
今は会いたい人には会える時に会って後悔しない人生を歩んでいこうと思っています。
高校時代からの40年来の親友が8月に余命1年の宣告を受けたと、共通の友人から知らされました。
当初は現実を受け入れられず、何を食べても美味しいと感じられず、泣いてばかりいました。
今は会いたい人には会える時に会って後悔しない人生を歩んでいこうと思っています。
加害者にも未来はあると人は言う。じゃあ命を落とすことになった被害者の未来は?人生を狂わされる事になった遺族の未来は?
加害者が未成年の場合、少年法に護られて納得のいく判決が下されない場合が多々あります。責任能力云々と言うのなら保護者に責任の一端を負わせるべきではないのでしょうか?
凶悪な少年犯罪に対しては、厳罰化しなければ遺族はいつまで経っても救われないのではないのでしょうか?
時間が全てに平等であるように、法の下でも平等であるべきではないのでしょうか?
人は皆、心の中に自分のものさしを持っている。
そのものさしは決して自分の価値観と他人の価値観を比較して相手を批判したり否定するものであってはならない筈。
相手がどれだけ傷付くかも解らずに、時として人は自分のものさしだけで他人を計ろうとする。
そして価値観の合わない人を否定する。
人は皆、自分が望む幸せを手に入れようとする権利がある筈なのに何故、価値観の違いを受入れられない人が居るのでしょうか?
価値観が違うからと争わずとも、「こんな考えの人も居るのね」くらいに受け入れられなくても、認めてあげる事が出来ないのでしよう?
私はそんな人に出会うと、「価値観の違いだけで他人と争う道を選ぶ事しか出来ない可哀想な人なんだなあ…」と思う様にしています。