幸い、道が空いていて
病院から電話があってから30分以内で
病院に着いた。
病室に入ると
酸素マスクをつけ
意識がない状態で横たわっている
父の姿が目に入った。
担当の男性の看護師さんと
呼吸器の主治医の先生方がいらして
軽く挨拶を交わすと
まずはお話を聞く前に
先生方がわたしと父と看護師さんを
病室に残し、退出される。
わたしは父のベッドに近付き
父に話しかけた。
『お父さん…
今までありがとう。
お疲れさま。
17年間、透析よく頑張ったね。』
こう言いながら
思わず涙ぐんでしまった。
ベッドの後方で
担当の看護師さんが
黙ってわたしの言葉を聞いていた。
『お父様、17年も透析されてたんですか…』
わたしが看護師さんの方を見ると
看護師さんは
わたしの言葉にウルっと来たのか
少し涙目になられていた。
『はい、そうなんです。
透析し始めた頃は
まだ仕事もしていて元気でしたが
年数が経つにつれて
段々、合併症が出始めて
入退院を繰り返すようになりましたね…』
『そうでしたか…
透析はどうしても
体のあちこちに支障が出てきますからね。
それでも17年とは
よく頑張って来られましたね。』
看護師さんは
終末期を迎える患者の家族のわたしに
親身に寄り添い
話を聞いて下さった。
この男性看護師のKさんは
男ばかりの環境で育ったとの事で
見た目も坊主頭でガッチリして
パッと見、野球部員みたいな風貌の
30代前半くらいの方だったが
ターミナルケアをはじめとする
看護がとても丁寧で
流石、看護師さんらしい
きめ細かさを兼ね備えた方だなと思った。
父が一般病棟に移ってから
一週間だけのお付き合いだったが
Kさんにケアをして頂き
父も幸せだったと思う。
それから面談室に移り
主治医の先生のお話を聞いた。
やはり、父の肺に溜まっていた膿(膿胸)が原因で
敗血症を起こし
ショック状態になっているとの事だった。
朝、わたしに電話する前は
叩いたりつねったりしても
全く反応がなかったそうだが
わたしが病院に駆けつけた時は
少し、反応するようになっていた。
最後に出来る治療として
どのような治療をしていくか
幾つか選択肢を与えられ
父にとってあまり苦しまずに済む方法を
先生と相談し、選択した。
大学病院に移った当初
心臓マッサージなどの処置は
一切、行わない事に決めたが
この時、再度確認を受け
心拍数が落ち始めた時は
自然の流れに任せ
そのままにする事で同意した。
先生から
最期に立ち会える親戚で
誰か連絡出来る人はいるか聞かれ
わたしはもう連絡してあるので
これから来ると思う、と伝えた。
治療法を決めてから
病室に戻り
人工呼吸器、ベッドサイドモニターをつけ
血圧を上げるための昇圧剤を投与し始める。
色々点滴をつけ
処置をし始めたところに
父の妹夫婦が来た。
叔父、叔母とロビーで少し話をし
叔父が買ってきてくれた
パンとおにぎりを食べてから
叔父は一旦、帰宅。
それから暫くして
父の兄と
2番目の兄(他界)のお嫁さんが到着。
わたしたち4人で
夕方まで父を病室で見守った。
わたしは父がサラリーマン時代
居酒屋に行った時に
タレントのいとうまいこさんと一緒に撮った写真と
父が定年後、ドラッグストアで
管理薬剤師として働いていた時の名札を
枕元に置いた。
看護師のKさんがそれを見て
『お父様が働いていらっしゃった頃の
名札なんですか?』
と尋ねられた。
わたしは父が定年後
管理薬剤師として
パートで働いていた事を話し
透析に行きながら
父はよく頑張ってくれました、と話すと
Kさんは嬉しそうに聞いて下さった。
他には、父がいつも持ち歩いていたバッグに入れてあった
健康祈願のお守りを
父の手に握らせた。
わたし自身、母の時は自殺だったため
家族のターミナルケアは
初めての経験だったが
最期までその人らしく生きられるように
温かく見守るのだな…と知った。
延命措置をする事だけが
患者さんのためになるわけではないのだ…
という事も。
その場の雰囲気が暗くならないよう
看護師さんたちが
明るく、温かく接してくださり
モニターで1時間毎に測っていた血圧が
上が100を超えた時もあった。
わたしが手を握ると
父は力一杯握り返してくれて
ずっと離さなかった時もあり
家族や身内が付き添ってあげる事が
こんなにも
父にパワーを与えているんだな、と感じた。
夕方頃、父の3番目の兄(他界)のお嫁さんも駆けつけ
病室も少し賑やかに。
その日の夜
わたしは父に付き添う事にし
わたし一人では心細いだろうから…と
父の妹も一緒に付き添ってくれる事になった。
他の伯父、伯母たちは帰宅。
叔母は一旦、荷物を取りに帰ってから
夜また来てくれた。
父の3月の入院以来
2ヶ月半ぶりに
父と一緒に過ごす夜。
わたしは叔母と3人の
長い長い夜を迎えた…
続きはまた…