『~放射線を浴びた~X年後』
予告編
伊東英朗 インタヴュー
54年の6回の水爆実験で
広がった放射能が
日本全土を覆っていた
愛媛県のテレビ局、南海放送のディレクターである伊東英朗が、8年間にわたり取材を続けるビキニ事件を描いたドキュメンタリー映画
『放射線を浴びたX年後』。
この事件の解決を福島の原発事故へとつなげたいと語る、監督の想いとは─。
——映画を観て、1954年3月に行われたビキニ環礁の水爆実験で、第五福竜丸以外に1000隻以上の船が被ばくしていたことにまず驚きました。
「教科書にも書かれていませんからね。高知県で、被災した漁民の方々に聞き取り調査を続けている山下正寿さんの活動をきっかけに、僕はこの事件を知ったんです。これほど世界的な大事件なのに、ほとんどメディアに取り上げられていないし、一般の人にも知られていないのが、信じられませんでした。山下さんの元を訪ね、取材を始めて日本テレビの『NNNドキュメント』で放送したのが8年前。それから何度か放送したテレビの映像に、新たな情報を加えて作ったのが今回の映画です」
——映画では、監督自ら被災した漁民や遺族の方に取材を行っていますね。遺族の方から「墓場までききに行け!」と言われているシーンは印象的でした。
「被ばくしていること自体を知らない人がほとんどなので、実はそういう反応をする方は少ないんですよ。当時マグロ漁船で被ばくした方は港に戻った後、放射線量を測定されています。そこで線量計の針が振り切れたのを見ているから、強い放射線を浴びていたのは知っている。でも、『すぐにお風呂に入っておけば大丈夫だ』と言われていたので、命にかかわる問題だとは思っていなかったんです。キノコ雲を見たことなどを、自慢話のように話してくれる方も多いんですよ」
——当時、放射性下降物が太平洋や日本を始めとする、アジアを覆っていたというのは?
「米原子力委員会の機密文書には、
54年の6回の水爆実験で広がった放射能が日本全土を覆っていたことが記録されています。日本人の上に、確実に放射性降下物が降っていたんです。さらに、54年の3月から12月31日までは検査を行い、放射線が検出された魚は廃棄しましたが、55年1月1日以降は一切検査をせず、すべての魚が食卓に上がっています。日本人の多くはその魚を食べているので、かなりの内部被ばくがあった可能性が高いと思います。54年12月に、日本政府はアメリカ政府から慰謝料として200万ドル(当時の日本円で約7億2000万円)を受けとり、今後この問題について何も問わないという文書を交わしました」
——お金で解決されてしまったんですね。
「原子力発電所の導入に結びつく、政治的な接点もあったと思います。裏はとれていませんが、同時期に原発の技術が日本に導入され、国として“核の平和利用”という言葉が出てきたのは確かです。広島、長崎の原爆で日本国民が放射能に脅威を感じていたところに、ビキニの水爆実験で火が付いて、核をなくそうという運動が高まっていった時でした。しかし結局、事件はうやむやになり、核を平和的に利用していこうという方向に向かってしまったんです」
——事件の無理やりな解決が、原発の推進につながっている可能性があると。ちなみに、監督は福島の原発事故を、どうご覧になりましたか?
「ビキニ事件と似ていると思いましたね。当時も『この地域の魚から、高い放射線量が測定されたらしい』とか騒がれましたし、『ただちに健康に影響はない』っていうのも言われていたんですよ。結果、国もメディアも、被ばく事件を扱うことにすごくナーバスになっている。結局わからないことが多すぎるし、ビキニ事件がうやむやになったことで、被ばく事件に対して不慣れになってしまった。きちんと解明できていれば、同じように事故が起こった場合に、何をどう対処したらいいのかわかったはずです。今からでも、ちゃんと政府として調査をして、解明すべきだと思うんです」
——確かに。そこにヒントがあるのかもしれない。
「『今は福島が問題なんだから、大昔のことをやってる場合じゃないでしょう』って言われることもありますが、僕はビキニ事件を解明しないと福島の問題は見えないと思う。現在、福島の状況を理解するために、チェルノブイリやその他の被ばく実験を参考にすることが多いと思います。でも、日本全土が放射性降下物で覆われて、長期間にわたって被ばくした魚を食べ続けた可能性が高いわけですし、マグロ漁船に乗っていた人たちは特に強い被ばくを受けています。身近に被ばく者がいるわけです。それが現実に何を引き起こしているのか、まずは医学的に解明しないといけない。当時マグロ漁船に乗っていた方には、すでにガンなどで亡くなってしまっている方も多い。今、生きている方もガンを患っている人が多いんです。その相関関係を解明することで、福島の問題につなげることができるはずです。60年近くたった今だからこそ、そのスパンでの被害の状況が見えてくる。本当に貴重なデータになると思うんです」
——そのためにも、多くの方に映画を観てもらいたいですね。
「映画を作った目的はそこにあります。劇場で上映することだけが目的ではないんです。とにかく、事件を知ってほしい。映画を観てこの事件に興味を持っていただいて、皆さんに調査をしてもらいたいんです」
——調査とは、具体的にどんなことをしたらいいのでしょうか。
「近くの港に行って、『この辺に54年頃にマグロ漁船に乗ってた人はいませんか? 当時のマグロ漁船のことをききたいんです』って声をかけてみてください。そうすると、『あの時はキノコ雲がドーンと上がってね……』って話が出てくる。もし、情報が得られれば、連絡をください。まずは、僕がフェイスブックなどでその情報を集約し、発信します。情報がもっと増えれば、受け皿を作って情報を集約し研究していくこともできます。被ばく者の方がいることがわかったら、お医者さんが行って話をきくこともできる。放射線による被害を医学的に解明できれば、多くの人たちの命を救えるかもしれない。今後また被ばく事件が起きた時に、万全を期すこともできるかもしれない。僕は、ビキニ事件と同じことが二度と起こってほしくないんです」
——実感として、反応はいかがですか?
「この事件について8年間テレビで放送してきましたが、3・11前までは思うような手ごたえがなかったんです。最近は自主上映したいと言ってくださる方や、協力したいと申し出てくれる団体も増えているので、希望を感じ始めています。この映画をきっかけに一人一人が調査に協力してくれて、少しずつでも情報を集めていくことができれば、それはとても大きな力になると思います。ビキニ事件の解明は、僕の念願なんです」
HIDEAKI ITO
伊東英朗 ○ 1960年、愛媛県生まれ。南海放送ディレクター、映画監督。大学卒業後、16年間公立幼稚園に務めた後、テレビ業界に入る。東京で番組制作を経験し、2002年からは南海放送で情報番組などの制作の傍らドキュメント制作を始める。04年ビキニ事件に出会い、以降8年にわたり取材を続ける。12年にドキュメンタリー映画『放射線を浴びたX年後』が劇場公開。今後も自主上映などで各地で公開予定。
»http://x311.info
ローリングストーン紙日本版からの情報だ。
たまたま本文の内容をユーチューブで見付けたので併せて紹介します。
米国によるビキニ環礁での水爆事件
冷戦下で米ソ両大国が頻繁に大気圏内核実験を行っていたつい最近の話しである。
操業中の漁船第五福竜丸を含め、多数の日本漁船が核実験による死の灰をモロに浴びて乗員が大量被曝をしたという事件。
この部分は昔に社会科の授業でも習ったので、知ってはいたが、
個人的に気になったところがあった。
>54年の6回の水爆実験で広がった放射能が日本全土を覆っていたことが記録されています。日本人の上に、確実に放射性降下物が降っていたんです。
この部分だ。
第五福竜丸に限ったものでは無く、同時期に我が国の国土にも核実験による放射性物質が雨あられと降り注いでいたという事だ!
知らぬが仏か?
米ソ両大国の間に挟まれ、このちっぽけな島国はいいように食い物にされていたのだな…。
別に戦争しているわけではないのに、核攻撃され続けていたようなものだ。
核を平和的に利用?
どこが平和なんだ???
そして、原子力を推進している輩の言う言葉はいつの時代も一緒だ
『ただちに健康に影響はない』
我々は何度被曝すれば懲りるのだ!
日本人の癌による死亡率がダントツ高いのもこのせいかのしれない!
ところで、このローリングストーン紙のカメラマンにオイラ撮影された事があるぜー
どっかのページに写ってるかもね~
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