5月に参加して以来、5ヶ月ぶりの南三陸町ボランティアセンターでの活動を終えて帰ってきました。
あっという間だった。
前回参加したのは大震災と大津波が甚大に被害をもたらしてから2か月後だった。
その頃、南三陸町ボランティアセンターの前は、人・人・人でいつもごった返していた。
毎朝8時前になれば、全国から個人・団体・自治体ボランティアが各自、大型バスやマイカーでわんさかやって来ていた。
新規受付けに長蛇の列が出来ていて。
多過ぎ時は断られる人もいたくらいだった
ところが
いまは閑散としてる。
町民から南三陸町ボランティアセンターへ支援要請依頼はいっぱい来ているにも関わらず、ボランティア自体が人手不足で支援要請依頼に応じられていない状態。
人々の被災地への関心が薄れてきているようだ。
5ヶ月経って変わったのは今まで避難所に避難されていた人々が仮設住宅に入居したぐらいだ。

(志津川病院)
あとは、瓦礫がひと纏め集められて所々に山になってるだけ。
4日に山田チャソがシウマイを持って行った2軒お宅でも、
『本当にボランティアさんには申し訳ない気持ちでいっぱいです…本来なら私らの集落(に起きた事)だから私らが率先してやるべき事なのに』
(ボランティアは好きで来ているので心配無用ですよ
)と、同じような事言われた。
いずれはそうなるのだ
南三陸町は南三陸町民のものだから
でもまだ早い

(津波で破壊された川の橋ゲタと施設)
自力で立ち直る段階までは来ていない。

(志津川付近橋の崩壊)
被災者は自分の身の回りの建て直しだけで、いっぱいいっぱいになっている感じがする。

(波を立てて走ってくるダンプ。港湾部はかなりの地盤沈下しており、満潮時は海水が道路に押し寄せてきて、道路が冠水してしまう。海との境目が不鮮明で夜間の走行は危険)
また、
心のケアも必要だろう
今回は縁があって、仮設住宅というプライベートな場所に上がらさせていただきました。
そりゃ体育館に段ボールで囲いして生活するよりはマシかもしれないが、プライバシーもヘッタクレも無いってところは変わらない。
薄い壁で、隣のお宅のヒソヒソ声でさえも聴こえてしまう感じだ。
カーテンを開ければ外に人が居るし室内が完全に丸見え。
これで、もし顔見知りや知り合いでも居なかったら・身寄りが無かったら、精神的に参ってしまうだろう。
話し相手になるボランティアも必要だろうと思う。
そういった意味でも
まだまだボランティアによる支援が必要だ。
ちゅうか足りてない!
まったく足りてない!!

帰りに三陸道の仙台手前で、渋滞にハマっている時、地元のFMラジオから三陸鉄道のCMが流れてきた
↓
『誰かを支えているようで、誰かにも支えられている』
『(まだ震災の傷も癒されぬまま)大人も、ランドセルを背負った小学生も満面の笑みで乗ってきてくれた~もっともっと地域に密着して行きたい』
こういった類のCMメッセージだったと記憶している。
震災復旧電車として運行可能区間のみを暫く地元民に無料で運行していた三陸鉄道
どっかで自分自身も支えられているのである。
みんなそれに気づいているかいないかだけなのである。
なんで山田チャソはボランティアに行くの?
山田チャソ的にはボランティアって、
半分は自己満足で、もう半分はまさしくそういう事なんだよ
『誰かを支えているようで、誰かにも支えられている』
ちょっと話しが逸れるが、
そういう気持ちが欠如した人間がエゴに走り、造り上げられた化け物が
原発てもんじゃないだろうか?
この化け物は人類と友好的に共存する気は無いと自ら断言しているようだ。
化け物は一日も早く退治すべきである。
まぁーちょっとだけ話しが逸れたが、二泊三日の南三陸町ボランティア第二弾は昨日で無事終了となった。
これを読んで一人でも多くのボランティア参加者が被災地応援に駆けつけてくれたらと願ってます。
今日は洗濯三昧だ~車も洗車しなきゃ・・・
そうそう!中途半端だった、10月4日のブログ記事編集しました。


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