フローレンス・ナイチンゲール
人生を二度、生きることが出来たらどんなにいいか。一度は過ちを犯すため、二度目は犯した過ちから学ぶために
罪の重たさや軽さは別にしても誰にでも過ちはあります。
自分なんかは褒められる生き方はしてなくて、反吐がでるぐらいの生き方をしてきました。
決して褒められるような事はしていなかった
そんな自分が悟り(見性)や明けの明星など体験を書いていますが、インターネットで検索して見ても他にいないようで、
ほんと自分がそんな事を書いている自体が不思議ですね。
ほんと自分が見て来た方などは、自分の事を知っている方などは、まったく信じないと思いますね
社会的に現実から逃げて、宗教にはしったと思うのでしようかね
運が良くそんな体験をしただけ、いまさらそんな事を言ってもと?
自分がそのような体験を言っていると、そんな見方やそのような枠としか見られないのは仕方がないのでしょうね。
天然真珠は偶然入った小さな異物を核にして(無核もある)、長年の年月を掛けて真珠層が形成されると言います。
人も同じような事かもしれませんね。
でも偶然運良く体験できたと言うのはないのですが?
でもそりゃ~ある方にとっては?そうとうの苦しみを背負う事になります
真珠貝のように中に入った異物があれば苦しみながら毒を吐き続ける事になるのです
だから偶然もない。運良かったのでもないのです。
自分が身を持って体験をして、縁あっての方の為になれればと思って設定して生まれて来たようです。
でも自分だけじゃあないのです。
ただこんな体験や運命を背負って、それを乗り越えて身を持ってしめす方はそんなに多くいないと思います。
バーソロミューの書物に書かれている内容を見てほしいのです。
フランチェスコはどんな罪深い行いをしたと言われる彼が、悟りを開かれたと言う事です。
それは全身が疑問のかたまりのようになって、何日も苦しみが続き、不安が増し、悩み続けた結果光明を得たというものです。
その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・悟ったのです!!
開祖や一部の修行者と言われる方はこのような道を通って行ったのです。
なぜそんな事が解るのかと言いますと、体験すれば経典の意味なども理解できたりするのです
書物に書かれている内容を見たら、これは悟り(見性)体験以外なにものでもないと思います。
ただね、悟り(見性)体験など書いたら、自画自賛だと思う方もいるかもしれないけど、
自分がそんな体験をすれば、きっと解ると思います。
これは新な始まりだと、ここで立ち止まる事はしないと思います。
ただ悟り(見性)を開いたから、おしまいではないのです
ここを勘違いしないで、これは新たな始まりです。
でも申し上げたい事は、もし体験をしてもこれまでの生き方をガラッと変わらないとね。
そう生き方が変わらなかったらそれは目覚めてないと言う事になります
そんな体験は根底をくつろがすほど、その体験が心の意識を変容させるほど衝撃的なものになると思います
神人合一体験は不立文字です。
一種の三昧になって、神の力との合一がおこる
※対象になりきった自分をも対象をもポンと捨てられるかどうかに、悟りが開けるかどうかに掛っているのです!!
本当に悟ったかどうかは別にしても、そういう方に限って教祖になったり、お金集めに一生懸命になった、挙句の果て愛人を囲む方が結構多くてね
すぴ系に良くない前例が結構ありますからね。
だけどももしほんとうに体験したと言っておるのであるならば、この事をしっかり心の道標にしておかないとね
コリントの信徒への手紙一13章1-3節
山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しいと言う事を心に留めておかないと間違いを犯すようになるかもしれませんから、
謙虚に生きていかないと何にもならない事になってしまうかもしれません。
リントの信徒への手紙一13章1-3節
「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいドラ、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」
実るほど頭の下がる稲穂かな
稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人も人格者や学問にすぐれている人ほど謙虚であるということ。
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米は実が入れば俯く、人間は実が入れば仰向く/人間は実が入れば仰向く、菩薩は実が入れば俯く/実の入る稲は穂を垂れる/実る稲田は頭垂る/実るほど頭を垂れる稲穂かな
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米は実が入れば俯く、人間は実が入れば仰向く/人間は実が入れば仰向く、菩薩は実が入れば俯く/実の入る稲は穂を垂れる/実る稲田は頭垂る/実るほど頭を垂れる稲穂かな