今からおよそ2500年前にお釈迦様が悟りを開かれて、

お釈迦様の悟りが修行僧の心から心にと伝わったと言われがあります。

実際は言葉や文字では、究極のところは伝わりませんパー

釈尊の教えの真髄は、文字や言葉では伝えることができないと思います。

お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりませんニコニコ

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれました!?

この摩詞迦葉尊者ただ一人だけが微笑まれたと言うものでした!!

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心に伝わっていったものだと思います。


心から心へと、直接体験によってのみ伝えられるとするのが、教外別伝の意味するところと言われています。

したがって、教外別伝とは教のほかに別に伝があるのではなく、

師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることみたいです。

また師から弟子へと伝承するというのは、弟子の目覚め(悟り)にほかならない とするのが教外別伝の内容と理解していいと思います。


弁道話の中に道元禅師はこう言っています。

インドや中国のような文化の優れた所に住んでいる人間は、悟る事ができるでしょうが、

国土も素質も劣った人でも悟る事ができるでしょうかと言う問いに、道元禅師はこう言いました。

人は素質の劣っている人も優れた方でも、区別なく等しく悟る事が間違いなく出来ると言うのですパー

仏法伝授する事は本当に悟った人を師匠にとせねばならない。

文字のせんさくに明けくれる学者は、師匠とするには不足である。

それでは盲が大勢の盲を導くものようなものです。


自分は後の為に残しておこうとか?

そんな烏滸がましい考えは持っていませんけど、神人合一体験は不立文字です。

自分が体験して、初めて理解ができると思います。  

一種の三昧になって、神の力との合一がおこる

※対象になりきった自分をも対象をもポンと捨てられるかどうかに、悟りが開けるかどうかに掛っているのです!!