悟り(見性)の事について語ったりする人もいますが、

ただお釈迦様や開祖や一部の修行者が通った道、体験を語る方はあまりいないのです。

幸いこの古庵は宗教家でもなく、師でもないしカリスマも賞賛も評価も何も望んでいないので何も縛られるものはないのですニコニコ

パーまず言いたいことは実は悟り(見性)体験の後にカルマの洗い直しがやって来ます

洗い直しと言っても肝心な事は、ニ通りの対処の仕方があります。

一つは怖れに対して向き合う事、もう一つはその恐れか逃げ出す事です。

その恐れに対して、破壊するか破壊されるか二つに一つなのです。


例を出すとサイダーの如く溢れて出て行く抑圧されているエネルギーを解放する途中に

とても怖くなって、逃げたり、押さえつけたりすると元のもくやみになってしまいます、

テープレコーダに録音されているテープにもう一度ど巻き戻しながら録音されているような感じですからね。

だからカルマを洗い直しをしていると思っても、またその印象やイメージを掴んで手放さないと、

いつまで経っても、自分の手から離れていかないのです。

それは洗い直しと言うより、もう一度同じものの上に撮影されているようなものなのです。

だから座禅なら思いを手放し、瞑想ならイマジネーションに成り切る事が大切なのですグッド!


それと禅や瞑想にしても、何かを掴もうとしたり、何かになろうとしない事も大切なのです。

多分、団体の主催者さんでも、カルマを開ける体験をしている方はあまりいないから

体験後のカルマの洗い直しの事を理解ができないと思います!?

何故なら、それは大多数の人が霊的なものを追い求めたりして、それを掴もうとしているからだと思います。

実際、自分は霊的なものを追い求めたのではないし、一生懸命に修行と励んだのではないのです。

仕方なく生きる為にこの道を入ったのです。

そんな自分は幼少の頃にある出来事があったりして神仏とは違う道を選択したのですしょぼん

それが幼少の頃に神仏と決別して、違う道を歩む事にしたのですが、

それがある時にどうしても対処せずにいられない出来事に遭遇したのです。

その時に宇宙の法に逆らったらそれ相応の結果になる。

ドンッ自分に巡り巡って還って来るとハッと目覚めたのです


でも、この事がすべて自分のシナリオで、設定して生まれて来たとアシュタールは言うのです。

まず、自分の言いたい事はクンダリニー覚醒や悟り(見性)などの事ではないのです。

それとあの世に還って、高い世界に還る為にとはいいません。

今ある現実の中で生きる望みも絶たれて、苦しんでいる方の為になれればと思っていますグッド!

その為に古庵と同じように悟れ(見性)とは言いません。

実際悟りを開いたから偉いのではないのです。

本来開いている悟りを今開くだけなので、開いたから何かなると思われそうですが

開いたからと言っても何もならないのです。

何にもならないのなら。何もしない方がましと言うかもしれません。

確かに何もならないかもしれませんが、その何もしない方がましと言っている方はもっと何もならないと思います。

何を言いたいかと言いますと、本来無垢なままで生まれて来ました。

それが大きくなるにつれ、習慣、思想、癖、観念などいっぱいくっつけて来たのです。

それをもう一度、ジャガイモをゴシゴシ綺麗にするように、

自分のチリやアカを取り除いたなら、本来の自分が現れると言いたいのです。

だから本来そのようであったのだから、何かになったと言うよりも何もならないと言うのです。

宗教家さんなどは光一元といいますが、本来は健康体で光輝いていたのです。

長い年月と!!共に、腐蝕したりこびり付いたチリやアカを落すだけで、本来の自分を取り戻す事になるのです


まず自分の中に怒り、憎しみ怖れなどがあれば、ちゃんと向き合って心調べをしてほしいのです。

それと身体に症状に出ている方がいれば、心調べをする事はもちろんなのですが、

最近は身体の声が聴いて、ヒーリングされているティチャーさんもいますからね。

それに身体の声が聴いて癌や奇病や難病に解放された体験談もあります。

それは自分が良く言っている心の中に不浄な抑圧されているエネルギーの解放事なのです。

これがチャクラやチャクラに対応している内臓などをきたしているのです。

その閉じ込められている感情エネルギ―を解放してあげれば良いのです。

人生を飽きらめたり、また病気などによって望みを絶たれて苦しんでいる方に、

もう一度本来の輝かしい自分を取り戻して再生してほしいのです。

その為にはまず、今まで生きてきた中での思い行いをもう一度見つめ直し、心調べから始めたら良いのです!!