山田無門老師もこう述べられています。

隠室に独参して、門答する為に入室しての帰りに、本堂のイチョウを見たときに、飛び上がるほど驚いた。

私の心は忽然ととして開けた。

無は爆発して妙有の世界が現前したのです。

隠寮に走って、参禅したら、公案の問題は出せれたが、その場で解決された。

すべては新しい。すべては美しい。すべては真実です。

すべては光っている、そしてすべては自己である。


仏教の中にも悟りとか昔から伝えられたリ、一度は聞いた事があると思いますが、

これは仏教の開祖さんとかが、経典にも残されていますねグッド!

こういった悟り体験は絶無に等しいというものみたいです。

それは今の時代ではそういった悟りを開く事は難しいとされています。

それには師の恩恵なくして、悟れる事はないと思いますし、

神仏のご加護がなければ、悟る事はできないと思います。

正道を実践されている師の下で、ご指導を仰ぎながら正法を学び、

正道を実践する以外は道は開けないものだと思います。

ある団体の主催者さんなどは、悟り(見性)の事だと思いますが、

感覚的なものでしかないような事を言っていますが、

それは解らないから、その程度しか言えないのです!?

まず実体験をしてないと経典の内容が理解できないと思います。

神人合一体験は不立文字です。

一種の三昧になって、神の力との合一がおこる

※対象になりきった自分をも対象をもポンと捨てられるかどうかに、悟りが開けるかどうかに掛っているのです!!


釈尊の教えの真髄は、文字や言葉では伝えることができませんパー

心から心へと、直接体験によってのみ伝えられるとするのが、教外別伝の意味するところです。

したがって、教外別伝とは教のほかに別に伝があるのではなく、

師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることである。

また師から弟子へと伝承するというのは、弟子の目覚め(悟り)にほかならない とするのが教外別伝の内容と理解していいでしょう。

お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりません。

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれました。

この摩詞迦葉尊者ただ一人だけが微笑まれたと言うものでした。

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心に伝わっていったのですニコニコ