クンダリニー覚醒体験の事が書かれていましたが、
尾骨のあたりでむずむずするような感覚があったり、強い熱を尾骨付近から感じられ、
尾骨から背骨に沿ってじりじりと這い上がっていく感じがして、その時に強い恐怖を感じ
その途中で意志の力で止めたと言うものです。
これは体験しないと解らないと思います
恐怖はとても筆舌には言い表せないもののようです。
途中で、意志で止めるのは、無理のないことかもしれません。
とても衝撃的な体験であって、覚醒は耐え難い苦痛が伴うものかもしれません。
でも、恐怖に打ち勝ちそれを乗り越えて行った時に、覚醒体験があると思います。
この時に恐怖に打ち勝ち分け隔てるものは、信仰心なのです
自分はどうなってもいい。すべて神様に委ねる。
ここに信仰心が試されているようです。
無理もない事だと思いますが、ここが分かれ目だと思います。
覚醒するか?
廃人になるか?
また死に通じるのか?
また覚醒しても、その後がどうなる事か誰も解らない
舵のない船で、荒波を渡るようなもの、それら全てひっくるめて
全て神様に委ねると言う事が大切だと思います
大多数の方は、リスクを冒してまでも、そんな体験は望まないでしょうね。
でも、自分はそうじやあなかった。
リスクを冒しても、崖から飛びおりる決心が出来ていました。
これ以上ない苦痛、苦難・絶望の中で、たった一つの光(希望)を見つけ、
死を掛けてまでも、覚醒体験に取り組んだのです
言葉では簡単ですが、それまでの古庵はどうにかこうにか生きて来て、
少しずつ乗り越えて来ましたが、それは誰にも解らない
またとても理解できるものではないと思います。
ここにアシュタールが言うように、沢山の方の為に愛と光でいたい信念がそうさせたのかもしれません。
そうではなかったなら、あらゆる体験をしてきましたが、とても自分に打ち勝つ事などはできません。
いちかばちか廃人になるか?
覚醒か?それとも死か?
自分としてはクンダリニー覚醒体験は究極な体験であったと申し上げておきます
自分の場合は瞑想していたら、良く尾骨付近の熱い熱を感じたり、
背骨に沿って這い上がって行く気を感じていました。
その気が心臓付近に上ったら、心臓の鼓動がドキドキして、とても違和感を感じたりしていました。
この現象が結構続くようなので、不安神経症のような状態になっていました
この火の蛇を目覚めさせる事は、ほんと強靭な肉体・精神力を持ち合わせ、
それと伴う信仰心があって初めて達成できるのかもしれません。
クンダリニーを覚醒させることが目的ではないと思いますが、クンダリニー覚醒体験は聖者と言われるゆえんでもあるようです。
自分はクンダリニー覚醒とは別に、悟り(見性)・明けの明星・体外離脱・幽体離脱・霊動法・平行次元語とあらゆる体験をしてきました。
何故、古庵がいろんな体験ができたと言うと、神仏の計らい、師の恩恵なくしては到底達成はできなかったと思います。
このような体験をしたと言う者は今まであまり聞いた事がありません。
クンダリニー覚醒体験をしたら、聖者や覚者だと言う方もいますが、自分の見解はまったく違います。
その次の関門が聳え立っています(笑)
どうして、古庵が体験できたのかといいますと、神仏が古庵みたいな者でも体験できるのだから、
他の方は出来ると言う事を示されたのでしよう
もし、自分が伝える運命にあるのなら、古い道、それは釈迦、イエスが説いた教えに戻れと言う事なのかもしれません。
今の時代はそんな時代ではないと思われそうですが、いくら時代が変わっても神理は変わらない。
その時代に沿った教えや形が変わろうが、神理は変わらないのです
偉そうな事をいいましたが、でも自分は修行者ではないのです
多分、そんなイメージを持たれてしまうと思いますが、ほんとごく普通で何処にでもいる男性なんです。
修行している方に、ほんと失礼でとても自分が修行者とは言えません。
何回言っていますが、体験はあくまで体験であって、高い霊性が身についていると言うのとは違うのです。
聖書の中にある神理を実践して、それで神理が身に付いたのなら聖者と言われるのかもしれません。
心の進化・成長は終わる事がないのです
それにはお釈迦様の八正道や聖書の神理を実践をしていく事が、とても大切だと思っています。
クンダリニー覚醒
◆クンダリニー開発のもつ危険性は充分認識しないといけないし生半可な初学者が独学で実修できるようなものではありません。
◆修業を積んだ経験深い師匠からの明確な指示がない限りこのおそるべき蛇の火の実修を行なうべきではないとされています。
◆宗教(心霊力、超能力)などに興味を持ちクンダリニーを覚醒させようとある種の行法を取り組むことは非常に危険です。
◆必ず修業を積んだ経験深い導師とかに相談することを進めます。
◆なんだかの偶然によりクンダリニーを目覚めさせてしまったなら経験深い師匠に必ず相談してください。
◆この恐るべき蛇の火が目覚めて、コントロールできずに肉体的苦痛や身体組織を損傷し生命さえ奪うこともあるそうです。
◆クンダリニーをおろすことに失敗して高熱を発したまま死んでいった者も随分いると言われていますからヨガの導師や経験豊かな人に指導を受けるようにしてください。
◆このクンダリニー覚醒をした秘伝者は日本いや世界でもごくわずかだと言われていますが、それは世襲的要素が難しく、精神的、肉体的に資質が関係するように思いますし経験深い師匠がなかなかいないのが実情だと思います。
クンダリニー覚醒体験者で、本山博と言う経験深く修業を積んだ巨匠がいますが、必ずそのような経験豊富な修業者に相談する事を進めます。
◆生半可な初学者が(心霊力.超能力)を求めて、修業して摂り返しのつかない事にもなりかねません。
◆修業者は自我を滅して、心の進化させるトレーニングを怠らずに人格者になるように努めなくてはならないと師匠に言われた事があります。
◆自己を練磨して純粋意識を達成するようにせず心霊力、超能力を求める事は非常に危険ばかりか摂り返しのつかない事態が必ず発生するから修業を積んだ経験深い導師、師匠にご指導してもらえるようにしてください。
◆クンダリニー覚醒が起って、如来とか菩薩の再来だと勘違いをし自分を優越感に浸れば本道を踏み外す事にもなりかねません。
◆クンダリニー覚醒は悟りの第一歩だと自分を戒め次のステップに進むように心がけてください。
◎クンダリニーの覚醒は尾低骨のまわりに蛇のようにとぐろをまいている宇宙エネルギーであって、基底のムーラーダ-ラー.チャクラから上昇をしスシュムナーを通って、頭頂のサハスラーまで、上昇し霊的覚醒が起り超感覚的クンダリニー体験すると言われています。クンダリニーがスシュムナーを通らず両側にあるイダかピンガラ内のピンガラを通って上昇した場合に高熱が1週間続いて死んでしまったと言う事があるみたいですから気持引き締めて、経験深い指導者の下で、行なうようにしてください。
◎私の体験として、クンダリニーを覚醒するという体験は非常に強烈かつ言葉では言い表せない凄まじい体験でした。その頃は心臓とか内臓の病気を患い生きる望みもなくなり死を見つめるようになった頃、1つの書籍が眼にとまりました。マニプラチャクラと言って臍の上にあって、太陽神経叢が目覚めれば生死をさまよっても床を立つとかみたいな事を書いてたと記憶しています。これを見て、どうせ死ぬのならクンダリニーの覚醒をしてからでも遅くないと思いこれが独学での修業の始まりでした。
◎ある特殊な行法を行なって、調度2週間目過ぎぐらいあたりに異変を感じまして、尾抵付近になにかゴトゴトする感覚と焼き鏝をあてられてる感覚を感じました。例えようのない恐怖、胸騒ぎとこれ以上ない心臓の動悸、息切れ地響きではないかと思うぐらい身体の揺れで、もうこれ以上持ちこたえる気持も限界に達して、これ以上ない苦痛と恐怖で、もう自分は死ぬんだなと死を受け入れた時にクンダリニーが轟音とともに登頂に駆け上って行き一瞬気を失ってしまいました。そして、気がついた時は仰向けになっていて、少し時が経っていたように感じました。はっと気がついた時に全身のオラーが金色に輝いて、登頂のサハスラーからは金色のオラーが放出してるのが見えて、これがクンダリニーの覚醒と言うものかとやっと我にかえり助かったと脂汗が流れました。いつの間にやら眠りについていて、気がついた時は自分の体から抜け出していて、そこに横たわっている自分を見つめていました。これが死と言うものか俺は死んだんだと思いまして、なるほど、これが死と言うものか、少ししてからその横たわっている自分を意識したらその横たわっている自分に戻ってました。なるほど、悟りを開いている導師とか師匠とかは生きてるうちに死にきっているのかと思いました。このクンダリニーの体験は信仰心が必要だと思えるし死を受け入れ死の恐怖を克服しないと多分、途中でクンダリニーを止めていたかもしれません。
このクンダリニーの覚醒後、何もかも終わったと思い、やっとこれで助かり生きれると感じましたが、この出来事以来から大変な苦痛の始まりでした。眼を瞑れば真っ赤な風景に真っ赤な神社とか見えたり耳からは精妙な音が聞こえたりリンリンと鈴の音や太鼓やフルートとかまたはブンブン蜂の群がる音とか聞こえてきました。それ以来は泣き止まぬ音として、自分の一部になっています。その当時は自分も若くて、精力旺盛な時期でしたが、一時的に性を抑制しこの修業に打ち込みました。その結果この性エネルギーは捌け口がなくなりどこにもいけず脊髄のところを調度温度計みたいに上がったり下がったりしているみたいな感じがしましたしまたある時は心臓まで上がり心臓の動悸して、非常に不快感を感じました。またある時は下腹の付近にシュッシュッと音をたてて、水蒸気が立ち上っている感じがしましたしまたある時はジューとしぼんで行く水蒸気みたいにも感じがしました。
クンダリニー体験者は異常な灼熱体温をあじあうとか伝えられていますが、自分も焼きただれてしまうぐらい異常な体温になりある時は頭にこの熱が集まり眼をつぶれは眼の中の細胞とか真っ赤に見えたりして、氷で頭を冷やすのに5センチぐらいの厚さの氷があっという間に溶けてしまいました。自分もクンダリニーが覚醒して、イドかピンガラ内のピンガラを通って、上昇したのかと思い高熱が続いて焼きただれて死んでしまうのかとどん底に突き落とされ絶望の中でこの熱がおさまるのを待ち続けました。これは味わった事のない者には解らず一晩中恐怖と絶望の中で身体は熱でぐったりし夜が明けるのを待ちました。いつの日か覚えてないけど、夢の中で、おまえは失敗だったと修業者みたいなお人に指摘されその事がきっかけになり経験豊富な巨匠の門をたたいた事が今では懐かしい体験であったと思えます。もう随分時がたって、今では父に巨匠のもとに連れて行ってもらったことが懐かしい思い出になりました。
◎クンダリニー覚醒は悟りの第1歩です。必ず次のステップに進んでください。心の進化を怠ると弊害があり非常に危険ですし摂り返しのつかない事態に陥ってしまいます。必ず、修業を積んだ経験深い師匠に相談してください。超能力を得ることだけが目的ではありませんし自我を滅して、心の進化を怠らないように努めてください。
尾骨のあたりでむずむずするような感覚があったり、強い熱を尾骨付近から感じられ、
尾骨から背骨に沿ってじりじりと這い上がっていく感じがして、その時に強い恐怖を感じ
その途中で意志の力で止めたと言うものです。
これは体験しないと解らないと思います

恐怖はとても筆舌には言い表せないもののようです。
途中で、意志で止めるのは、無理のないことかもしれません。
とても衝撃的な体験であって、覚醒は耐え難い苦痛が伴うものかもしれません。
でも、恐怖に打ち勝ちそれを乗り越えて行った時に、覚醒体験があると思います。
この時に恐怖に打ち勝ち分け隔てるものは、信仰心なのです

自分はどうなってもいい。すべて神様に委ねる。
ここに信仰心が試されているようです。
無理もない事だと思いますが、ここが分かれ目だと思います。
覚醒するか?
廃人になるか?
また死に通じるのか?
また覚醒しても、その後がどうなる事か誰も解らない

舵のない船で、荒波を渡るようなもの、それら全てひっくるめて
全て神様に委ねると言う事が大切だと思います

大多数の方は、リスクを冒してまでも、そんな体験は望まないでしょうね。
でも、自分はそうじやあなかった。
リスクを冒しても、崖から飛びおりる決心が出来ていました。
これ以上ない苦痛、苦難・絶望の中で、たった一つの光(希望)を見つけ、
死を掛けてまでも、覚醒体験に取り組んだのです

言葉では簡単ですが、それまでの古庵はどうにかこうにか生きて来て、
少しずつ乗り越えて来ましたが、それは誰にも解らない

またとても理解できるものではないと思います。
ここにアシュタールが言うように、沢山の方の為に愛と光でいたい信念がそうさせたのかもしれません。
そうではなかったなら、あらゆる体験をしてきましたが、とても自分に打ち勝つ事などはできません。
いちかばちか廃人になるか?
覚醒か?それとも死か?
自分としてはクンダリニー覚醒体験は究極な体験であったと申し上げておきます

自分の場合は瞑想していたら、良く尾骨付近の熱い熱を感じたり、
背骨に沿って這い上がって行く気を感じていました。
その気が心臓付近に上ったら、心臓の鼓動がドキドキして、とても違和感を感じたりしていました。
この現象が結構続くようなので、不安神経症のような状態になっていました

この火の蛇を目覚めさせる事は、ほんと強靭な肉体・精神力を持ち合わせ、
それと伴う信仰心があって初めて達成できるのかもしれません。
クンダリニーを覚醒させることが目的ではないと思いますが、クンダリニー覚醒体験は聖者と言われるゆえんでもあるようです。
自分はクンダリニー覚醒とは別に、悟り(見性)・明けの明星・体外離脱・幽体離脱・霊動法・平行次元語とあらゆる体験をしてきました。
何故、古庵がいろんな体験ができたと言うと、神仏の計らい、師の恩恵なくしては到底達成はできなかったと思います。
このような体験をしたと言う者は今まであまり聞いた事がありません。
クンダリニー覚醒体験をしたら、聖者や覚者だと言う方もいますが、自分の見解はまったく違います。
その次の関門が聳え立っています(笑)
どうして、古庵が体験できたのかといいますと、神仏が古庵みたいな者でも体験できるのだから、
他の方は出来ると言う事を示されたのでしよう

もし、自分が伝える運命にあるのなら、古い道、それは釈迦、イエスが説いた教えに戻れと言う事なのかもしれません。
今の時代はそんな時代ではないと思われそうですが、いくら時代が変わっても神理は変わらない。
その時代に沿った教えや形が変わろうが、神理は変わらないのです

偉そうな事をいいましたが、でも自分は修行者ではないのです

多分、そんなイメージを持たれてしまうと思いますが、ほんとごく普通で何処にでもいる男性なんです。
修行している方に、ほんと失礼でとても自分が修行者とは言えません。
何回言っていますが、体験はあくまで体験であって、高い霊性が身についていると言うのとは違うのです。
聖書の中にある神理を実践して、それで神理が身に付いたのなら聖者と言われるのかもしれません。
心の進化・成長は終わる事がないのです

それにはお釈迦様の八正道や聖書の神理を実践をしていく事が、とても大切だと思っています。
クンダリニー覚醒
◆クンダリニー開発のもつ危険性は充分認識しないといけないし生半可な初学者が独学で実修できるようなものではありません。
◆修業を積んだ経験深い師匠からの明確な指示がない限りこのおそるべき蛇の火の実修を行なうべきではないとされています。
◆宗教(心霊力、超能力)などに興味を持ちクンダリニーを覚醒させようとある種の行法を取り組むことは非常に危険です。
◆必ず修業を積んだ経験深い導師とかに相談することを進めます。
◆なんだかの偶然によりクンダリニーを目覚めさせてしまったなら経験深い師匠に必ず相談してください。
◆この恐るべき蛇の火が目覚めて、コントロールできずに肉体的苦痛や身体組織を損傷し生命さえ奪うこともあるそうです。
◆クンダリニーをおろすことに失敗して高熱を発したまま死んでいった者も随分いると言われていますからヨガの導師や経験豊かな人に指導を受けるようにしてください。
◆このクンダリニー覚醒をした秘伝者は日本いや世界でもごくわずかだと言われていますが、それは世襲的要素が難しく、精神的、肉体的に資質が関係するように思いますし経験深い師匠がなかなかいないのが実情だと思います。
クンダリニー覚醒体験者で、本山博と言う経験深く修業を積んだ巨匠がいますが、必ずそのような経験豊富な修業者に相談する事を進めます。
◆生半可な初学者が(心霊力.超能力)を求めて、修業して摂り返しのつかない事にもなりかねません。
◆修業者は自我を滅して、心の進化させるトレーニングを怠らずに人格者になるように努めなくてはならないと師匠に言われた事があります。
◆自己を練磨して純粋意識を達成するようにせず心霊力、超能力を求める事は非常に危険ばかりか摂り返しのつかない事態が必ず発生するから修業を積んだ経験深い導師、師匠にご指導してもらえるようにしてください。
◆クンダリニー覚醒が起って、如来とか菩薩の再来だと勘違いをし自分を優越感に浸れば本道を踏み外す事にもなりかねません。
◆クンダリニー覚醒は悟りの第一歩だと自分を戒め次のステップに進むように心がけてください。
◎クンダリニーの覚醒は尾低骨のまわりに蛇のようにとぐろをまいている宇宙エネルギーであって、基底のムーラーダ-ラー.チャクラから上昇をしスシュムナーを通って、頭頂のサハスラーまで、上昇し霊的覚醒が起り超感覚的クンダリニー体験すると言われています。クンダリニーがスシュムナーを通らず両側にあるイダかピンガラ内のピンガラを通って上昇した場合に高熱が1週間続いて死んでしまったと言う事があるみたいですから気持引き締めて、経験深い指導者の下で、行なうようにしてください。
◎私の体験として、クンダリニーを覚醒するという体験は非常に強烈かつ言葉では言い表せない凄まじい体験でした。その頃は心臓とか内臓の病気を患い生きる望みもなくなり死を見つめるようになった頃、1つの書籍が眼にとまりました。マニプラチャクラと言って臍の上にあって、太陽神経叢が目覚めれば生死をさまよっても床を立つとかみたいな事を書いてたと記憶しています。これを見て、どうせ死ぬのならクンダリニーの覚醒をしてからでも遅くないと思いこれが独学での修業の始まりでした。
◎ある特殊な行法を行なって、調度2週間目過ぎぐらいあたりに異変を感じまして、尾抵付近になにかゴトゴトする感覚と焼き鏝をあてられてる感覚を感じました。例えようのない恐怖、胸騒ぎとこれ以上ない心臓の動悸、息切れ地響きではないかと思うぐらい身体の揺れで、もうこれ以上持ちこたえる気持も限界に達して、これ以上ない苦痛と恐怖で、もう自分は死ぬんだなと死を受け入れた時にクンダリニーが轟音とともに登頂に駆け上って行き一瞬気を失ってしまいました。そして、気がついた時は仰向けになっていて、少し時が経っていたように感じました。はっと気がついた時に全身のオラーが金色に輝いて、登頂のサハスラーからは金色のオラーが放出してるのが見えて、これがクンダリニーの覚醒と言うものかとやっと我にかえり助かったと脂汗が流れました。いつの間にやら眠りについていて、気がついた時は自分の体から抜け出していて、そこに横たわっている自分を見つめていました。これが死と言うものか俺は死んだんだと思いまして、なるほど、これが死と言うものか、少ししてからその横たわっている自分を意識したらその横たわっている自分に戻ってました。なるほど、悟りを開いている導師とか師匠とかは生きてるうちに死にきっているのかと思いました。このクンダリニーの体験は信仰心が必要だと思えるし死を受け入れ死の恐怖を克服しないと多分、途中でクンダリニーを止めていたかもしれません。
このクンダリニーの覚醒後、何もかも終わったと思い、やっとこれで助かり生きれると感じましたが、この出来事以来から大変な苦痛の始まりでした。眼を瞑れば真っ赤な風景に真っ赤な神社とか見えたり耳からは精妙な音が聞こえたりリンリンと鈴の音や太鼓やフルートとかまたはブンブン蜂の群がる音とか聞こえてきました。それ以来は泣き止まぬ音として、自分の一部になっています。その当時は自分も若くて、精力旺盛な時期でしたが、一時的に性を抑制しこの修業に打ち込みました。その結果この性エネルギーは捌け口がなくなりどこにもいけず脊髄のところを調度温度計みたいに上がったり下がったりしているみたいな感じがしましたしまたある時は心臓まで上がり心臓の動悸して、非常に不快感を感じました。またある時は下腹の付近にシュッシュッと音をたてて、水蒸気が立ち上っている感じがしましたしまたある時はジューとしぼんで行く水蒸気みたいにも感じがしました。
クンダリニー体験者は異常な灼熱体温をあじあうとか伝えられていますが、自分も焼きただれてしまうぐらい異常な体温になりある時は頭にこの熱が集まり眼をつぶれは眼の中の細胞とか真っ赤に見えたりして、氷で頭を冷やすのに5センチぐらいの厚さの氷があっという間に溶けてしまいました。自分もクンダリニーが覚醒して、イドかピンガラ内のピンガラを通って、上昇したのかと思い高熱が続いて焼きただれて死んでしまうのかとどん底に突き落とされ絶望の中でこの熱がおさまるのを待ち続けました。これは味わった事のない者には解らず一晩中恐怖と絶望の中で身体は熱でぐったりし夜が明けるのを待ちました。いつの日か覚えてないけど、夢の中で、おまえは失敗だったと修業者みたいなお人に指摘されその事がきっかけになり経験豊富な巨匠の門をたたいた事が今では懐かしい体験であったと思えます。もう随分時がたって、今では父に巨匠のもとに連れて行ってもらったことが懐かしい思い出になりました。
◎クンダリニー覚醒は悟りの第1歩です。必ず次のステップに進んでください。心の進化を怠ると弊害があり非常に危険ですし摂り返しのつかない事態に陥ってしまいます。必ず、修業を積んだ経験深い師匠に相談してください。超能力を得ることだけが目的ではありませんし自我を滅して、心の進化を怠らないように努めてください。