覚醒と悟り(見性)を混合にしている方が結構いると思います。

覚醒したと言うものは、霊能開花の事を言っているのでしょうか!?

それにはエクスタシ―はないから、普通の感覚で悟りも覚醒もみな同じようなものだと思っているかもしれません。

それでいて能力開花した事が覚醒したというみたいですね。

これが主にチャネラーさんの言うところの能力開花だと言うものみたいですねはてなマーク


悟り(見性)とかは、宗教の書物などに載っていたり、伝説のように伝え続けられているものですが、

これはエクスタシーというかどうか解りませんが、強烈な感覚があります。

人生がいっぺんにひっくり返ったような感覚になったりします。

この昂揚する素晴らしい感覚が沸き起こり、筆舌にはとても伝えられない感覚です。

一種の忘我状態に入ったり、またシーマンや巫女さんが水籠りをして、

熱を発してエクスタシーの状態になったりするというものもあるみたいですね。

またクンダリニー覚醒は背骨の下から火の蛇のエネルギーを上昇させて、

チャクラと呼ばれる中心点を通るときに、高熱を発する人がいると言われがあります。

それにヨガでいう、悦の感覚はそれはセックスの感覚とはまった比べものにならないようなものだと言っている覚者もいます!?


霊能開花の覚醒と、宗教の覚醒や悟り(見性)とは違いがありますが、

宗教の修行者は心の進化の過程であって、物事にも囚われず、何ごとにも執着しない自由な心のなせるもので、

心の進化なくして得るものではないと、心の進化させるトレーニングを忘れて、

自分には力があると自惚れていては、やがて消えていく事にもなると言っています!!


この能力開花の目的と心の進化の過程での違いはステージとしても違いがあります。

これは入り方の問題で、山頂を目指していくのには、どの道からは行ってもいいと思いますが、

そこに至るまではやはり経験豊富な師が必ずいる事が大切ですグッド!

で、ないと癖がついたり、何処が間違っているのか?解らないですからね。

そのような時に師匠というものは有難いものです。

セミナーを通しての師、宗教の修行の師との違いを理解できたなら良いんだけどね。

一人よがりの修行していては、たいては迷路に入り込んで抜け出る事が難しくなります。

チャネラーさんでも、素晴らしいティチャーの方もいっぱいいますが、

大多数のチャネラーになったと言う方には師がいなくて、

セミナーを通して、教え学んだりする時にそのティチャーが師となるみたいですが、

ここが目的の違いだからしょうがないのかもしれませんね?

宗教のほうでも、悟った師という者は身近になかなか居ないものですからね。

大きい団体などに言っても、指導される事は難しいと思います。

となると、やはり出家して本格的に本山などで修行しないと在家での修行は大変かもしれません。

古庵は運よく師に巡り合い、在家で体験できたのが奇跡のようなものでした。

それには神仏のご加護や師の恩恵なくして到底達成できるようなものではないと思いますパー


78] 約2通り求め方 Date:2010-08-11 (Wed) 光のかけ橋

スピリチャルな事を目指している方は沢山いると思います。

大まかに分けて、色分けすれば約2通りあると思います。


道場である一定の規律の中での修行をしている修行僧や巫女さんとセミナーやセッションの中でのティチャ―から教えを受けて、

能力的なものを開発して行こうとする方に分れるかなぁ?と思います。


沢山のティチャ―を見まして、殆どの方はセミナーやセッションを通して能力重視で伸ばすほうに目指しているみたいと思いました。

自分はどちらかと言いますと、チャネリングなどの能力的なものではなくて、何も求めない瞑想(座禅)を主にしていました。

それから縁あって、セミナーやセッションなど受ける事ができましたから、その両方の良いところも解かりますし、

良くない所と言えば語弊がありますけどね。


ただ、セッションやセミナーではなかなか悟る事はできないと思いました。

これは能力覚醒を目的にしているセミナーだから

悟るという言葉を自分は使っていますが、夢物語りではなくて、開祖が通って言った悟りの事を自分は言っています。

自分個人の考えでは、ある一定の規律の中での修行をしていて、

その上で?(併用)?セミナーやセッションとか受けられたら良いと思いました。


正道を歩んでいて、悟った師でないと、何処が間違っているとかも解からないし、

堂々巡りでメイロの中に入って、いつまでも出られなくなるような状態になると思いました。

チャネリングなど習って能力開発を目的にしているから仕方がないのかもしれませんが、

師が居るのと居ないのでは、随分違ってきますし何処が間違っているのか?癖がついたりして、

良くない影響も出てきそうですね。


また、能力開発を目的にしていなかった自分には、聖人と言われているクンダリ二―覚醒や悟りと言われている

お釈迦様の悟りを開かれたと言う、物語りと思われている悟り(見性)体験をしました。

それにカルマ(解消)と言われていて、カルマのパンドラの箱や明けの明星の瞬き体験もさせて貰いました。


これも能力開発を目的にせず、正道を学んでいる師がいたからこそ体験が出来た事だと思います。

本来なら能力開発の目的などしなくても、仏教なら仏教、キリスト教なら純粋なるキリスト教を学んだら

開祖の通った足跡を辿っていけるものだと思います。


自分の見解は良くティチャ―の方などはチャネリングをして、天使や聖人をコンタクトしているから、

天使や聖人と同等の霊格が身につけていると言っている方がいますが、まったくの勘違いだと思います。


少なくても、開祖が通って行った、悟りの香りも伝える事はできないと思います。

沢山のティチャ―がいっぱいいますが、自分のような体験をしたと聞いた事はありません。

ある団体などは、聖人や菩薩、如来の再来だと言う方もいますし、

インドでもなかなか体験している方はいないと言われていますが、


体験したから霊性は身についているのではありません。

体験はあくまで体験です。

マザーテレサのような大きな愛やそれにキリスト様のような聖書の中の真理を身につけてこそ、

本物の聖人や菩薩と言われるレベルに達する事になるのかもしれません。

自分の心の中は、乗り越えていけれない壁をなかなか乗り越えれない自分にもどかしさがあります。

いくら奇跡の体験をしても、それはあくまで体験であって、キリスト様の霊性を身につける事はなかなかできません。

決して、謙虚に言っているのではないし、良く思われたいから言っているのではないんですよ。

自分は聖書の中の真理を身につけてないから、菩薩や聖人になってはいないといいます。

カリスマ性を持っている宗教家の創始者などの方はクンダリ二―覚醒は聖者だと言っていますが、

自分はそうではなくて、体験はあくまで体験であって、ルカの福音書などの聖書の中の真理を身につけてこそ、

聖者だと思っている違いがあるだけです。


スピリチャルな事を目指している方は、もっと本来の仏教やキリスト教を学んで、

仏教や聖書の中の真理を身につけてこそ、本来のスピリチャルな事を目指す目的ではないんでしょかね?

その為には六波羅蜜やハ正道を実践して行きたいと自分は思っているだけなんです。


あまり仏教やキリスト教と言われている宗教に拘らない方は、世間で言われているスピリチャルな事と言われているものを目指さなくても、

自然に沿った生き方をして、心の成長を目指していけたらそれでいいんだと思います。