「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、

いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、

きょうは梅一輪の匂いのために、同じ月が、まったく違って見えるみたいです。

悟り(見性)とは本来の自己、仏に出会うことだと思います。

これらの体験は開祖などや経典などに残されていますし、

伝説のなかに伝え続けられているものです。

お釈迦様の悟りが時空を超えて、修行僧の心から心へ伝わって行ったものだと思います。

決して夢物語りでもないし、開祖や素質のある者だけが体験できるものでもないと思います!?


内山興正禅師も弁道話しにもありますが、

開悟の〔開〕も〔現成公案〕の現も同じです。

現とは、今までなかったものが現れるという意味での現ではない。

どっちへ転んでも陰顕在没にかかわらぬものをいまここでやるというのが現です。

〔開〕も、これまで閉まっていたものが、いま開くいう開ではない。

開悟といっても、迷っていたのがいま悟りをひらいたいうのではない。

本来ひらいている悟りをいまここでひらく。これが開悟です。

今の時代では悟り(見性)を開くのは難しいかもしれませんが、

正道を歩んでおられる師の下で坐ったり、行をおこない機が熟されたなら、

本来の自己・仏に出会う事になるかもしれませんパー