また黄檗禅師は思念をやめ思慮なくせば、仏は自然現れると説いていますねニコニコ

この悟り(見性)とはどんなものなのか?

一つのものを二つ見ているのが迷いで、一つと見るのが悟りだと言われがあります。

我を忘れて、無になり切る、三味そのものになり切る事が、何らかの感覚にふれて、本来の自己を悟る事だと思います。

何らかの感覚にふれて、初めて仏性を悟ることかもしれませんニコニコ


「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、

きょうは梅一輪の匂いのために、
同じ月が、まったく違って見えるみたいですグッド!

自己を忘れて、無心になずなの花を見て、軒の雨ざれを聞いて、自己がそのものになった。

花や軒のあまざれになりきる三昧のとき、自己を悟られされ、本来の自己(仏)現れるパー

心も妄念とかある間は見るものも歪んで写ります。

人の心も同じようで、風がふいて波が立つとそこに写っている対象物もぐにゃぐにゃに揺れ写ると思います。

妄念や雑念に支配されなくなるとちょうど、月が湖面に映し出されるように空にもお月さんが浮かんでいるように心そのものだけが現れてくると思います。、

本当の自分をはっきりとつかめないとしてもうっすらぼんやりとかいま見る事ができるかもしれません目