お釈迦様の慈悲やイエス様の愛を説いておられる聖書の中にある、神理をごく自然に実践できてこそ菩薩行が調っていくと思っていますパー

誰であろうと心の王国を確立されていなければならない(汗)

実践してこそ霊性が高くなるものだと思っています。

また自然に実践出来てこそ聖者や菩薩と尊敬されるのでしょうね。

その為には正法にかなった思いと行いを実践する以外はないと思っています。


心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと、高橋信次先生や園頭広周先生も言っておられますね。

まさしくその通りだと思っています!!


もし自分に役目があるのなら、イエス様やお釈迦様の説いておられる神理を少しでも伝えるのが
役目かもしれません!?


自分が何回も、クンダリ二―覚醒や○○の生まれ変わりとか馬鹿の一つ覚えのように言うのは、

いくら聖者の奇跡体験しても、聖者でも菩薩でもない。

神理の実践が自然に出来てこそ、聖者と言われるという事を伝える為に自分があえて言っていますが、

この古庵は聖人と言われる体験をしていますが、聖書の中にある神理は実践はできていません(涙)

○○太子・○○菩薩・○○○ヨハネ・1300年前ぐらいに悟りを開いた者・神会からやって来た知恵を持った者または妖精とか・天使の存在とか・今まで沢山の事を言われてきました。


クンダリ二―覚醒や悟り(見性)と言って、スピリチャルな世界でも珍しいと言われる体験をしています(汗)

宗教家の創始者などの方はクンダリ二―覚醒は聖者だと言っています。

ある団体などは、聖人や菩薩、如来の再来だと言う方もいますし、

インドでもなかなか体験している方はいないと言われています。


明けの明星やクンダリ二―覚醒また悟り(見性)など言う方は今まで自分は聞いた事がありません。

それに悟り(見性)と言って、今の時代ではなかなか開けないものも体験しています、

それとあけの明星のまたたきの体験も他にあまり聞いた例はありません。

自分は他の方から特別な存在と言われる事もあります。

またある団体の創立者や幹部の方などはその奇跡体験している者は、聖者だと公言している方もいます。

自分の見解はそうではなくて、体験はあくまで体験であって、聖書の中にある神理を身につけてこそ、

聖者だと思っている違いがあるだけです。


キリスト様やお釈迦様とそれに菩薩と言われている聖人と同じような霊性になってはいないんですよ。

奇跡体験したから高い霊性は身についているのではありません。

体験はあくまで体験です。

聖書の中にある神理を自然と実践できてこそ聖者や菩薩と言われるのではないでしょうか?


マザーテレサのような大きな愛やそれにキリスト様のような聖書の中の真理を自然と実践できてこそ、

聖人や菩薩と言われるレベルに達する事になるのではないでしょうか?


聖書の中にある真理を実践できない者に、心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと強く思っています。

奇跡体験をしても、神理を実践できない者には、菩薩や聖人とは言えないと伝えるのが、
もしかしたら自分のお役目かもしれません。

他のティチャ―が言うように菩薩の輝きを伝える為に生まれて来た目的の一つかもしれませんね。
その為に神仏は古庵に奇跡体験を見せてくれたのでしょうね。


それにお釈迦様やキリスト様や沢山の開祖が通った足後を辿っていったからこそ、体験できたと思います。

この古庵を特別な存在だと言われる事もありますが、それは勘違いです。

体験はあくまでも体験です~体験をしたから高い霊性が身に付いているのではないんです。

誰であろうとも、キリスト様やお釈迦様の残した正法を学べは、きっと同じような体験は出来ると思います。


まぁ~こんな事をいうから、脅迫や批判もあります。

それでも、止めません(笑)

いくら山を動か力があっても、愛がなければ無に等しいと言われがあります。


あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。

ルカの福音書6章27-38節にあるように、神理の実践できてこそ霊性が高くなるのではないですか?

ほんと今まで奇跡体験して来た事は心の進化の過程であって、広大無辺な悟りの中ではほんの少し入り口に入っただけです。

これからも聖書の副音書やお釈迦様の説いておられる八正道を実践して行くだけです。



■ 光のかけ橋 (項目)
Date: 2010-10-18 (Mon)

心ない教祖やまやかしの団体にそれにネガティブなオカルト信者によって、宗教と言う名前に手垢が付けられたと思いますが、

本来の宗教は太陽の如く満遍なく降り注ぐ光のようなものだと思いますが、その光があれば闇夜を渡るカンテラのようなものです。

闇夜の航海に出るには、必要な羅針盤のようにキリスト様やゴータマ・ブッダの教えの真理が光輝いています。

その光があれば危険な険しい道でも進んでいけるものだと思います。、


今の時代は本来の宗教は捻じ曲げられ、末法の時代だと言われていますが、

人は皆、あらゆる時代を通って学び体験し、少しずつ人間完成に近づいていけるものだと思っています。

その遥か彼方にいるキリスト様やゴ―タマ・ブッタや開祖の通って行った足跡を辿って行く事が大切だと思います。

その真理、正道の大切な事が解からないと、いつまで経っても同じ所を堂々巡りして、

混乱な人生をいつまで経っても抜けて行く事ができません。

宇宙の真理を説いているキリスト様やゴーダマ・ブッタの正法を学び正道を実践してこそ霊性が高まると思います。

仏教は本来明るく誰でも理解できる広いものです。

仏の教えは人間完成への実践を教えていると思います。


人間は皆神の子なんです。本質が同じで、同じ能力・資質を持っています。

例え神の子で、本質が同じで能力も資質を持っていても原石のままでは光輝く事はできません。

それがもしそうであるならば、人間完成に近づいて行ける為には何をしなければならないと、自ずから解かって来ると思います。


お釈迦様やキリスト様や沢山の開祖が通った足後を辿って行ったら必ず体験できると思います。

一回きりの人生なら、何もしなくても良いかもしれませんが、輪廻転生があるのであるならば、今がその時だと思います。

自分にも言える事ですが、永遠の今を目覚めて生きてほしいものです。