バーソロミューの書物によると、若いときのフランチェスコはあなたがたと同じ情欲や金銭欲を持ち、
酒や女や快楽や権力への欲望を持っていたそうです。
自分の求めていた喜びが、思ったほど得られないと気づいたみたいです。
多くの罪深い行いをし、自分の欲望を追求し始めました。
私は欠陥の多い人間である。
善人になるなど不可能。
それなら完璧な罪人になろう。
自分の欠陥を無限におしひろげよう。
その完璧のなかから、自分の人生に喜びと調和が見出せるのではないか、
けれども最後には自分が求めていたものを与えてくれないことを理解しました。
フランチェスコはジレンマに陥り、善人にもなれないし、欲望に身をまかせても幸せをもたされない。
フランチェスコは、意思の深いレベルで、死の現実と対決する事を選択しました。
常に思い病気を選び、その病気によって死にかけました。
その病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態ののなかで、悟りを得たみたいです。
善であること、神の愛が同じであると信じようとしました。
けれどもその二つは同じことではないと解ったそうです。
非常に善い人でも、神への愛を全く持たない人もいます。
神への愛は神を愛したいと思う気持ちによって決定される。
それまでの自分の考えのあやまちに気がついた瞬間は、フランチェスコの人生にとってこの上もなく重要なものになったそうです。
高熱のなかで、ある問いが繰り返し彼の頭に浮かびました。
神を愛することができるだろうか。どうやって?
神を愛することなくして、生きていくことはできないと思うのに、どうしたら愛せるか解りませんでした。
愛したいけど、どう愛していいか解らないというジレンマをはっきり自覚す。
これは非常にフランチェスコにとって喜ばしい意思の状態だとそれます。
何日も苦しみが続きました。熱が上がり、不安が増し、イライラと絶望がつのりました。
ある朝、まだあたりが静かで物音もせず、もうすぐ夜が明ける頃、窓の向こうで一羽の鳥が鳴きました・・・・・。
さしてその泣き声ょフランチェスコは今までとは全く違うように聞いたそうです。
その鳥のかなでる歌声のパワーによって、彼は悟ったのです。
※愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。
何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、ついに・・・・フランチェスコは悟ったそうです。
愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らない。全身が疑問のかたまりのようになって、そういう普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、最後に一瞬の飛躍があり、意識の境界線を越えて、本来の自己が現れたのでしょう。
我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、そのとき初めて、本来の自己を悟ると言うものかもしれません。
そのものになりきって、(ものになる)ところに仏本来の自己が現れるものだと思います
光のかけ橋 日記より Date:2009-11-19 (Thu)
バーソロミューの書籍に記載されています。
もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。
その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。
その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。
フランチェスコが悟ったのは神を愛する唯一の方法は、神の声を全ての中に聴く事だと言います。
死にゆく者の泣き声の中に、きちがいの叫びの中に、らい病の絶望の中に恋人達の抱擁の中で、これこそが神を愛する道だと思ったそうです。
これらの音と神の声を分けるものは何もない
この音こそが神の声そのものだとフランチェスコは悟りました。
バーソロミュー マホロバアート
ヒューイ陽子=訳
酒や女や快楽や権力への欲望を持っていたそうです。
自分の求めていた喜びが、思ったほど得られないと気づいたみたいです。
多くの罪深い行いをし、自分の欲望を追求し始めました。
私は欠陥の多い人間である。
善人になるなど不可能。
それなら完璧な罪人になろう。
自分の欠陥を無限におしひろげよう。
その完璧のなかから、自分の人生に喜びと調和が見出せるのではないか、
けれども最後には自分が求めていたものを与えてくれないことを理解しました。
フランチェスコはジレンマに陥り、善人にもなれないし、欲望に身をまかせても幸せをもたされない。
フランチェスコは、意思の深いレベルで、死の現実と対決する事を選択しました。
常に思い病気を選び、その病気によって死にかけました。
その病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態ののなかで、悟りを得たみたいです。
善であること、神の愛が同じであると信じようとしました。
けれどもその二つは同じことではないと解ったそうです。
非常に善い人でも、神への愛を全く持たない人もいます。
神への愛は神を愛したいと思う気持ちによって決定される。
それまでの自分の考えのあやまちに気がついた瞬間は、フランチェスコの人生にとってこの上もなく重要なものになったそうです。
高熱のなかで、ある問いが繰り返し彼の頭に浮かびました。
神を愛することができるだろうか。どうやって?
神を愛することなくして、生きていくことはできないと思うのに、どうしたら愛せるか解りませんでした。
愛したいけど、どう愛していいか解らないというジレンマをはっきり自覚す。
これは非常にフランチェスコにとって喜ばしい意思の状態だとそれます。
何日も苦しみが続きました。熱が上がり、不安が増し、イライラと絶望がつのりました。
ある朝、まだあたりが静かで物音もせず、もうすぐ夜が明ける頃、窓の向こうで一羽の鳥が鳴きました・・・・・。
さしてその泣き声ょフランチェスコは今までとは全く違うように聞いたそうです。
その鳥のかなでる歌声のパワーによって、彼は悟ったのです。
※愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。
何日も苦しみが続き、不安が増し、イライラと絶望がつのり、ついに・・・・フランチェスコは悟ったそうです。
愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らない。全身が疑問のかたまりのようになって、そういう普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、最後に一瞬の飛躍があり、意識の境界線を越えて、本来の自己が現れたのでしょう。
我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、そのとき初めて、本来の自己を悟ると言うものかもしれません。
そのものになりきって、(ものになる)ところに仏本来の自己が現れるものだと思います

光のかけ橋 日記より Date:2009-11-19 (Thu)
バーソロミューの書籍に記載されています。
もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。
その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。
その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。
フランチェスコが悟ったのは神を愛する唯一の方法は、神の声を全ての中に聴く事だと言います。
死にゆく者の泣き声の中に、きちがいの叫びの中に、らい病の絶望の中に恋人達の抱擁の中で、これこそが神を愛する道だと思ったそうです。
これらの音と神の声を分けるものは何もない
この音こそが神の声そのものだとフランチェスコは悟りました。
バーソロミュー マホロバアート
ヒューイ陽子=訳