瞑想修行又は座禅修行においては、スカッとする時もありますし、気分が滅入る事もありますニコニコ

曇りには曇りなりに、雨の日には雨の日なりに、晴れの日には晴れなりに、その時、その時の生理現象、心理状態がある事が当然であり、それはそれにふりまわされず、その風景として手放しをして行くことが大事だと思いますグッド!

内山興正禅師は思いを浮かばなくするというよりというより、因果関係を静かな目で見ていながら、それにふりまわされず、じっと座っていることこそが大切で、祗管打坐(座禅している)ということなんだそうです。
居眠りせぬよう、考え事にならぬよう、いきいきと覚めて、骨格と筋肉で、正しい坐相をねらって、行くことが大切ですね。

道元禅師は座禅することによって、特別な悟りを開くというより、そのための座禅であってはならない。
つまり座禅する、そのことこそが悟りそのものであり、身心脱落であり、座禅するということは、この悟りを今ここで実際に修行し、実物するのみだそうです。

まず、きちんとした実相をねらって、座禅をするという事が求められると思います。
他の兼ね合いをやめて、打算をやめて、自己が自己をする、ただ座禅が座禅を座禅するということかもしれません。

また黄檗禅師は思念をやめ思慮なくせば、仏は自然現れると説いていますね!?


ラマナ・マハリシの教えに記載されています。

ディヤーナにおいて心せねばならないことはなんでしょうか?
自己(アートマ・ニシュタ)の内確立された人にとって大切な事は、その没我状態から決して動いてはならないということである。

その真実状態からそれると、彼は眼の前に光輝くものを見たい、常に物音を聞いたり、彼の内部や外部に現れる神々のヴィジョンを事実とみなしたりするようになる。彼はそのようなものに欺かれてはならず、彼自身を忘れてはならない。