若かりし今敏監督と僕と『老人Z』 | でも・・枕にこそは侍らめ

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「出た、和田彩花」

24日早朝、アニメーション監督の今 敏さんが亡くなられました。

ちょうどその時ツイッターでマッドハウスの監督が死んだらしいとの情報が流れた時に、僕はなんとなく「今さんかも・・・」との思いが過ぎったんです。


これといった理由はありません。

ただ、昔からあのひょろっとした体でタバコと、特に酒が大好きで一升瓶を抱きながら映画を見るのが好きだったようなので失礼ながら漠然と不健康そうなイメージがあったもんで・・・。




僕が今さんと初めて出会ったのは随分前になります。

友人に推薦されて劇場用アニメ作品『老人Z』の原画マンとして参加した時で、その時今さんは初めてのアニメの仕事で美術設定として参加されていました。


僕はまだまだ青二才で周りには今さんの他に大友克洋さん監督の北久保弘之さんに作画監督の飯田史雄さん、当時から天才と名高かった沖浦啓之さん、井上俊之さん、後にブレイクする中澤一登さんなどなどそうそうたる面々。


今さんはその頃まだ20代。細い体に7:3分け、銀縁めがねで見た目は神経質そうなパソコンおたくの様でしたが、話してみるととても気さくでお酒好き。


驚いたのはあの作画スキルの圧倒的で異常な高さでした。生身の人間が書いたとは思えないほどの絵の確かさ。また描くのも早い。
今さんの場合それらはすべて勉強、スキルアップのための鍛錬によって会得した技術のようでした。



そのせいか、沖浦さんのような天性の才能というものに憧れもあったようで、よく彼の作画を見ては「センスでここまでの物を描いちゃうんだもんなあ。『だってこんな感じがかっこいいじゃん?』みたいにさ。俺がここまで描くのにどんだけ努力したと思ってんだよ・・・」などと笑顔を交えながらよく言っていましたね。


ある時『椿三十朗』のある台詞に例えて「でもあいつの絵はいつでも抜き身なんだよ、鞘に入ってないんだ。鞘にしまえって。」と言い、沖浦さんのレイアウトを直し始めたんです。


僕から見れば沖浦さんのレイアウトなんかもう完璧に見えるわけですよ。このまま持って帰りたいくらいに旨い。


今さんは立体と空間とパース、そしてカメラが捉えている物の表情。その情報が絵が旨いからって情報量として描き過ぎだって言うんですね。逆にに平坦に見えると。



それらを整理した今さんの修正後の絵は確かに絵の緻密さは損なわずメリハリの利いた立体的なものになっていて、のちに沖浦さんも感心していました。


青二才の僕はその一流同士のやり取りにただただ「すげーなー」などと思うしかありませんでしたねえ。



その頃から口の悪いところはありましたが逆に学ぶことに関してはものすごく謙虚で、勝手の違う仕事のせいかこんな僕にでさえもしばしばアニーメーションに関して色々質問してきたのを思い出します。


また、自他共に認めるパースフェチの今さんはメカ設定の磯光雄さんの描いたメカについている理屈にとらわれない独特でかっこいいパースを見て「こういうパースでもいいんだ・・・」とまじまじとその絵を眺めていました。



あとは今さん含めみんなスタッフでお酒を飲みに言ったりする時も、僕が作業の遅れもあり渋ってると今さんに「なんだよーいこ~よ~」と子供みたいな顔で言われて渋々飲みに参加したり、今さんの自宅に数人で遊びに行って飲んだりもしました。(あ、ちなみに僕はほとんど飲めなかったんですけどね)


お互い平沢進ファンということもありその話もよくしました。
「『家を想わす 雌鹿の群・・・』(サイエンスの幽霊 FGG)この表現がすばらしいよねえ・・・」としみじみ言っていたのを思い出されます。








『老人Z』の作業も終わり、僕は沖浦さんの誘いもあって劇場用アニメ作品『走れメロス』に参加。

今さんもレイアウトとして参加。また仕事してみんなで酒飲んでの日々でした・・・。




初めて今さんと会ってから正味2年ほど一緒に仕事をしたことになります。


そんなに長くはなかったものの僕にとっては人生のターニングポイントになったとても貴重な体験で、そこで経験したことは技術的なことも含め今でも僕の支えになっています。


まあ今さんは僕のことは大勢のスタッフの一人としか思ってなかったでしょうけどね。


その後僕は今さんとは違う作品に参加してたものの、たまに今さんのいるスタジオに遊びに行ったりもしたんですが・・・。

しかしそのうち僕が業界を離れたこともあり疎遠になってしまいました。







う~ん、考えがまとまりません。

ただ考えているとどんどんお互い若かったあの頃の思い出があふれてきます。



家が同じ方向だったんで一緒にママチャリで帰ったりもしました。


まじめな話、くだらない話、エロイ話、ここでは書けないような話、いろんな話をしました。


今さんが酔っ払って踊りだしたのを僕が連写機能のあったカメラで連続撮影したり。(その時の写真は今でも持ってます)


飲み屋でウエストの細い女性店員がいて、今さんが「じゃんけんに負けたやつは彼女のウエストのサイズを聞くこと」と言い出し、じゃんけんに負けたのが今さんだったり。


女の子にフラれていたり・・・。






ああ、ちょっと泣きそうなんでこの辺でやめておきます。


もっと今さんの人柄の話がしたかったんですが、なんか僕の思い出話ばかりになってしまって申し訳ないです。

ただ、あんな人はなかなか出てこないでしょうね。それくらいクリエイターとしてハイスペックな人でした。


あの頃もらった「海帰線」と「ワールドアパートメントホラー」のサイン本(びっちり絵が描かれてありました)が宝物になってしまいました・・・。




ほんとは葬式に行きたかったんですが、近親者のみとのことなのであきらめたんですよね。

今日(26日)の昼過ぎに葬儀は終わったそうです。


平沢進さんのツイートによると「あれほど美しい死に顔を見たことはありません。」とのこと。

疎遠になりかなり経っている僕が言うのも厚かましいですがなんかホットしました。


その後、『夢見る機械』スタッフで今さんらしく送ろうじゃないかということで飲み会が開かれたようです。


酒好きで寂しがり屋だった今さん、きっと喜んでるでしょうね・・・。




ひねくれ物の今さん。でもきっとスタッフのにぎやかな声を聞きながら、今頃無事彼岸にたどり着いているでしょう。





さよならね。

今さん。