あけましておめでとうございます。

1月4日は、世の中が仕事始めのようなので、私も今年のブログ始めにします。

今年もよろしくお願いいたします。

 

「ボタンのかけ違い」も9番目になりました。

10番目まで書こうと思っていますから、あと2つです。

 

 

誰でも、がんになったら一生懸命に治そうとします。治らなくても良い…と思う人は、多分、皆無だと思いますが、結果的には治る人と、そうではない人の差が出てしまいます。もちろん、がんの種類や発見された時のステージや、悪性度などによって、治癒率が全く変わってきますから、がんが治るかどうかは、その人の治癒努力とは関係がないとも言えます。

 

それでも、再発や再再発、全身転移などの最悪な状態で医師から見放され、余命数ヶ月を告げられてから、最後は自宅で過ごしたいと帰宅した方が、不死鳥のように蘇ったという事例があります。

 

一方には、発見時はステージ2ぐらいで、本人も周りの人も「絶対に治るがん」と信じて疑わなかったのに、治療のたびに悪化して、気づいたらステージ4になっていて緩和病棟行きを勧められ、そのまま帰らぬ人になった知人もいます。何もしなかったわけではなく、標準療法を信頼できる拠点病院で受けて、同時に民間療法も取り入れて治療していたのに、いつの間にか坂道を転がるように悪化した事例もありました。

 

その違いは、どこにあるのでしょうか?

 

 

一つは、間違いなく、患者本人の心の問題です。

 

不死鳥のように蘇った代表例が、「余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと」で世界的に有名になったケリー・ターナーさんの著書『がんが自然に治る生き方』(プレジデント社)で、自然治癒した唯一の日本人例として紹介されていた寺山心一翁さんだと思います。

 

最末期の腎臓がんで帰宅した時、朝日を浴びた瞬間に「生きている今」に深い感謝の心を持ったことが始まりだったそうです。自分の体やがんにさえ、日の出とともに感謝の思いを伝え、節制した生活を続けていたら、全身のがんが自然消滅してしまったという方です。自分の体への深い愛情を持ち、動き、笑い、話し、食べられる体を保つ命への感謝の心は、生命力の源かも知れません。

 

一方の軽いがんのはずが、どんどん悪化していく事例は、不倫の恋に悩む人で知りました。彼女は、がんだと宣告された時、その病名にショックを受けて泣き崩れてしまった人です。その混乱のまま恋人に連絡したので、彼女の落胆ぶりから末期がんだと思い込み「今のままでは君を死なせない、ちゃんと結婚しようね」と、不倫相手は空手形を切ってしまったんです。

 

やがてステージ2で生死に関わらないレベルだとわかると、恋人は手のひらを返したように冷たくなり、結婚話どころか別れ話をするようになりました。闘病中は付き合えないから他の女と付き合う…という身勝手な話ですが、彼が大好きな彼女には男の薄情さがわからず、自分がもっと悪くなれば同情して結婚してくれるはずと、心のどこかで思い込んでしまったようです。

 

抗がん剤治療が終わった時にはステージ3になり、手術をしてステージ4になり、放射線治療後は緩和病棟行きになってしまいました。治りたい、死にたくない、元気になりたいと口癖のように言っていましたが、もっともっと強く「彼と別れたくない」と叫んでいたので、深層心理にある悪化願望が勝ってしまっていたのだと感じます。

 

がんと向き合う本人の心の問題は、治癒結果に大きく影響します。

 

 

心の問題は、治療法の選択時も関わってきます。

 

例えば、病院で行われているがんの三大療法・標準治療を「自分のがんを治すための治療法」として積極的に受け入れるのか、「がんを悪化させるかもしれない治療法」として拒否感を持ちながら渋々受けるのかで、その成果が違います。

 

特に抗がん剤の功罪については、さまざまな意見がありますから、自分のがんのケースで、今の自分の病状で、どのくらいのメリットとデメリットがあるのかをしっかり医師から説明してもらいましょう。もしも不信感が残ったら積極的にセカンドオピニオンをして、自分が納得できるまで理解することが、治療効果をあげる大切な準備になると思います。抗がん剤を止めることも、漠然とした不安感や感情論ではなくて、医師との話し合いで納得して決めるべきことだと感じています。

 

同じように、病院治療を拒否して自分の自然治癒力を高めて治そうとする場合も、本人の覚悟や自信、治るという信念と、さらには正しい指導者を得て行う「本人にとって最適な治療法」が不可欠だと思われます。

 

誰かが成功したからやってみよう、家族が勧めるから試してみよう、話題の本に書いてあるから大丈夫、有名な医師が言っているから信頼できそう…など、いろいろな外野の情報だけで、本人の覚悟も意思なく、病院に頼らない自然療法をブームのようにとらえて行うと、多くの場合は失敗します。

 

どの治療法が適しているかよりも、もしかしたら、どんな気持ちでその治療法を選択するのか…の方が、治癒効果を上げるためには大切かもしれません。

 

 

ネット上はもちろん、健康雑誌にも書籍にも「これでがんが治りました」という体験談があふれています。中にはでっち上げがあるのかもしれませんが、その多くは、本当に、その人個人にとっては、真実の体験談であると思っています。

 

ですが、全ての人の人相が違い、体格が違い、生活習慣が違い、家族との関わり合いも違い、がんの状態も違うのですから、その治療法がその人にとって効果的であったとしても、それが全ての人にとって同じように効果的であるという補償は、何一つありません。当たり前のことですが、「治った!!」という言葉だけで、自分もその気になってしまいがちなので、気をつけたいことだと思います。

 

治療法の選択は、どこまでも、自己責任だと思います。

自分というオリジナルな存在に対して、最も効果的な方法に出会うには、自分が主体的にがんと向き合い、がんは自分の細胞だから自分で治せるという信念のもとに、医師や信頼できる人々としっかり話し合い、納得して行うものでしょう。

 

時には、医師の指示よりも自分の直感を重視することがあるのかもしれないし、家族の意見よりも自分の感覚を信頼することもあるのかもしれません。それも含めて、自己責任だと思います。

 

 

今年は、いろいろな場面で「わたしの命・わたしの体」を意識し、自己責任での選択を心がけてみませんか。「夜の10時前に眠る」というささやかな日常習慣一つでも、自己責任で行おうとするか、日常の流れの中でなんとなく意識するのかで、その結果が違います。「わたしの命・わたしの体」を意識した自己責任感を持てれば、毎日の雑多な出来事に左右されることなく、毎晩の睡眠時間を守れることでしょう。

 

そんな小さなことの積み重ねこそ、生活習慣病であるがん治療にとっては、とても大きな成果につながるものだと感じます。「選択」とは、大げさなものではなくて、今からでも実践できる「小さな生活習慣の改善の選択」の積み重ねだと、わたしは感じています。そのレベルならば「自分の基準」がわかりやすいし、「自分との適正」も判断しやすいと思います。小さなことから、始めてみましょう。