「親は子どもを愛するもの」という、普遍の親子神話がありますよね?
でも、
親の立場で、
子どもを愛せなくて悩むお母さんや、
子どもの立場で、
親に愛されていると思えず、自分の中に原因を探して苦しんでいる人たちがいる。
今日はその、
「親は子どもを愛するもの」について、守護神様に質問してみました。
こんばんは、あなたの心を光の方へポンと飛ばす、 ハッピーナビゲーター 弓明子(ゆみあきこ)です。
弓明子:守護神様、「親は子どもを愛するもの」という、親子神話について書こうと思ったんですけど、うまく表現できないんです。
親子愛ってそもそもどういうものなんでしょうか?なんかいいコメントください。
守護神:また、まるごとぶん投げるのぉ(苦笑い)
親からみて
愛だけでいうなら、
愛は、あるのじゃ
子どもに向かないだけじゃ
自分のことで忙しい親もいる
子育てに向かない親もいる
すべての親が、子どもに愛情を注げるものだと考えると、なぜ、自分の親だけが愛してくれないのだろうか?と、悩むことになる。
そしてなぜ、自分は子どもを純粋に愛せないのだろうか?、可愛く思えないのであろうか?
と、悩むことになる。
じゃが、
「親は子どもを無条件に愛せる」が、過ちなのじゃ
愛があるから、授かるわけではない
愛がないから、授からないわけではない
愛と、身籠るは別物なのじゃ。
身籠ると、人格者も別物なのじゃ
人の命を授かることを何かの証明のように考えるから、ややこしくなる。
ただ、生命としての営みをすれば、授かる。
(授からないこともある)
そこに、
愛や人格、価値、能力、などを、絡めるな。
さすれば、
親は子を愛するもの。
という神話がいかに歪か、わかるというもの。
弓明子:本能はないのですか?
守護神:本能では愛するの。
それは、生かしたいというものじゃ。
そなたのいう愛はもっと、人間的なものであろう?
弓明子:人間的な愛情、、、。
守護神:例えば、そなたが知ってる例で挙げるなら、
犬や動物、鳥などは、
たくさん産んで、強い個体を残すの。
弱くて餌をもらえず、育たないものは自然淘汰される。
これが、本能の愛じゃ。
そなたのいうのは、平等に愛すると言うことじゃろう?
実に人間的な愛ではないか?
そこに本能は発揮されないのじゃ
弓明子:なるほど!
本能から見ても、
「親は子を(平等に)愛するもの」
は、ありえないんですね😳😳😳‼️‼️‼️
守護神:そうじゃ、じゃから、
他の兄弟のように愛されない理由を自分の中に探しても見つからないのじゃ
親子であっても、気が合わないこともあるのじゃ
弓明子:
親の立場だと、
我が子を平等に愛せないのも普通のことだし
我が子を可愛いと思えないのも普通のことだし
我が子と気が合わないのも普通のことなんですね。
子どもの立場だと、
親に自分だけ厳しくあたられたり
他の子どもだけ贔屓されるのも
親に嫌われてる気がするのも
普通のことなんですね。
そこに、
「本来なら親なら子どもを無条件で平等に愛せるはず」
という、前提があるから、
愛せない親と
愛されないと感じる子どもが
自分の中にありもしない原因を探して悩み苦しむ。
でも、そもそも、
「親は子どもを無条件で平等に愛せるはず」
という前提が違うんですね。
今日は親子神話がいかにナンセンスか?を、書こうとしてたので、「親子であっても気が合わない」理由を守護神様に聞けてよかったです。
ネタに詰まって質問してみるもんですねぇ。
またよろしくお願いします😁
で、ここで終わるのもあれなので、じゃあ、どう考えたら楽になれるのか?っていうのを、明日の続きに書こうと思います。
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