タマホイさんがすばらしくまとめて下さいました。

 

 

上記を抜粋します。( )内は筆者注。

 

(1991年のソ連崩壊)

 

1991年1月 クリミア独立

 

1991年8月 ウクライナ独立

 (クリミヤはウクライナの州として位置づけられたが、1992年5月5日、ウクライナ共和国クリミア州議会はウクライナからの独立を決議し、クリミア共和国(英語版)を宣言)

 

1997年 ロシアとウクライナが友好条約を締結、ウクライナは国内の少数民族の文化的多様性を保障

 

(2014年2月にオバマ政権(副大統領バイデン、ビクトリア・ヌーランド)によるウクライナ乗っ取りクーデター「マイダン革命」成功し、傀儡政権樹立)

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2014年 アメリカの外交官がウクライナ国籍を取得して財務大臣に就任

 

2014年2月 (傀儡政権により)ウクライナがロシア語を公用語として禁止、ロシア・ウクライナ友好条約を破る

 

2014年3月 クリミアがロシア連邦編入の住民投票を実施、97.47%が賛成。同様に、今回ウクライナ東部4州もロシアへの編入を住民投票で決めた。中央政府の承認なしに独立をする行為はコソボ危機の際に国際司法裁判所もOKしている

 

(ウクライナがロシア系国民の迫害・虐殺開始、ドンパス地方を中心に東部に軍事侵攻「ドンパス戦争」)

(つまり、先に手を出したのはウクライナである) 

 

(2014年9月5日「ミンスク合意」 ドンバス地域における戦闘(ドンバス戦争)の停止について合意、ウクライナ、ロシア連邦、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国が調印)

 

2014年 ミンスク合意の後、ウクライナが合意を無視してドンバス地方(ウクライナ東部・自国領)を攻撃

・ドイツのメルケル前首相が「ミンスクは見せかけの合意だった」発言
・イギリスのボリス首相もミンスクはそもそも意味のない合意だった発言
・ウクライナのポロシェンコ元大統領も「ミンスクは軍備増強・反プーチン連合を構築するための時間稼ぎだった」発言

ロシアは8年間ただミンスク合意の履行を望み、その立場を変えなかった

 

2019年 ゼレンスキー大統領爆誕

 ドンバスへの攻撃は続き、8年間で約14,000人の子供含む民間人が死亡(国連調べ)
 ロシアに編入した今でも攻撃を受け続けている
 ゼレンスキーはネオナチ組織に勲章を与え、ロシアの特別軍事作戦の際には牢屋にいる犯罪者を戦力として解き放った

 

(2022年2月21日 ロシアはドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立を承認、両共和国と友好相互援助条約に調印、2月24日 友好相互援助条約のもとでロシア側は国連憲章第51条の集団的自衛権を主張し、ウクライナへの「特別軍事作戦」を開始)

 

ロシアの特別軍事作戦は突然始まったウクライナ全土への侵略ではなく、ドンバス地方の保護が目的
現在ウクライナの奥深くの軍事施設まで狙って攻撃しているのは、いまだにドンバス地方への攻撃がなくならず、ロシア領へのテロ攻撃が続いているため

 

(そもそも「先に手を出した」のはアメリカ傀儡政権のウクライナであり、ロシアではない)

 

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(ご参考)