母。教育虐待とネグレクト。 | H2のブログ

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毎時毎夜のフラッシュバックと

パニックになりそうで意識が揺らぐ瞬間に

新たに出てくる記憶と光景がある


その間の空虚に移ろう時間に

記憶と感覚が繋がってできる物語がある

 

 

母のコンプレックスは

寒村のさらに人里離れた集落出の'恥'

だったように思う

 

「このままここで高校を卒業したら

 集落内で結婚させられる」

と高校進学を断り中卒で

ひとり仕事に出たとのことだ

 

出たのではなく

出ざるを得なかかったのだと思うが

 

だから一生をかけて欲したものは

'良き世間体'だったのではないか

自分を認めるために

 

 

母は彼女の内の理想の世界を求めた

 

「これからの時代はね教養なの」

そういう口癖に気づいたのは

小学校低学年の頃だった

 

おそらく小学校入学とともに与えられ

しつこく1人でやるように強要され続けた

磁気プレーヤー式の機材とカードの束

 

いつしか次から次へと届く

別の教材の問題集の束と

追いつかなくて送り返せなくて

山のように積もっていく未回答紙のタワー

 

いきなり

「明日からよ、だれだれもやるからね」

と言って突然強要されるたくさんの習い事

 

小学生の時、趣味を持つのよといわれ

連れて行かれたデパートの記念切手売り場

買い与えられた一冊の切手収集帳

記念切手の発売日には郵便局に通わされた

 

それなのに

彼女は自分でそれらの手ほどきをすることは

ほとんどなかった

「やりなさい」

「やっておきなさい」

いつも視線を外し無表情に言い放って

黙るか去った

 

唯一、小学校入学前の九九の暗記で

「どうしてできないの!わからないの!」

と何度も何度も激しく叩き叫び続けられ

私が泣き叫んでもわめいてもできるまで

終わらなかったことを除いては



手ほどきがなかったのは勉強だけではない


小学校低学年で叔母の病院に

何度となく連れて行かれた道中

私はカバンを丸々無くすことがよくあった

回を重ねてもその注意や指導はなかった

自分で気がついて

次のことに移る時には

後ろを振り向くことを思いついて直した


手を洗うことを知らなかった

友達の家で4人で遊んでいる時

そのお宅のお母さんがおやつだから

手を洗いましょうと順々にみてくれた

私の番になって

そのお母さんのひきつった顔に驚いた

「○○くん、手がとても汚いよ

 よく洗いましょう!」と


私も妹も全ての乳歯がぼろぼろになって

連れて行かれた歯医者は

電車に乗ってまで行くところだった

地元の開業医では手に負えなかったからだ

しかも二人揃って


頭を洗うことも知らなかった

雨降りの日に汚い頭が濡れると臭くなる

それを同級生の女の子に指摘されて初めて

頭を毎日洗うようになった

もう小5だった


夜尿症も小5まで続いていた

自分でおかしすぎると思うまでは


幼少期から鼻から息が吸えず

食事が遅くなる理由

水泳ができない理由

の慢性鼻炎に気がついたのは

遠く大学に入ってからだった


 

それなのに彼女は'教育'に熱心だった



それなのに彼女の口癖は

「うちは貧乏なの」

「お金がないの」

「我慢しなさい」

「無駄遣いはダメ」で

 

誰もいない家に帰ってきては

椅子を運んできてその上に乗って手を伸ばし

楽しみに蓋を開ける棚の上の

お菓子入れの容器には

いつも何も入ってはいなかった

 


基本的な身の回りの世話がなかった代わりに

与えられたのは

楽しくもない意味不明な教材と習い事の数々

面白くもない切手という与えられた'趣味'


 

それよりも

心を開ける友達がいなかったこと

親とはまるで会話がなかったこと

家には悲しいほど笑顔がなかったこと

は我慢したから

少なくとも

おやつと灯りのついた家が欲しかった

 

物心つく前からの

祖母や叔母による略取や拉致、

躾という執拗な虐めのおかげで

罵詈雑言と妬み、恨み、蔑みと愚痴

にさらされ続けたおかげで

穀潰しという存在否定の言葉のおかげで

世の中も人もわけのわからぬ

すでに恐ろしいところだったから

ただ帰って安心できる家が欲しかった

父はいなくてよかった

母も彼女でなくてよかった



何が無駄で何が必要なものか

まるでわからなかった

 

 

中学に入ればスパルタ学習塾に通わされた

いつも通り、だれだれも行くからと

勝手に決め意向も封じられたままに

 

父の親族と両親による幼少期の恐怖体験は

自分の意志を発するという意識さえ

とうの昔に蓋をすることに役立っていた

 

毎水土の塾は2時間の授業と宿題の山

授業でわからなければ間違えれば

宿題をやってこなければ

黒板に正の字で誤ちの数をカウントされ

 

授業が終わると教師たちは

しゃもじ型の大きなベニヤ板を

フルスイングして

教壇に両手をついて突き出した尻を

正の字の数、思いっきり殴り重ねた

暗い夜の帰り道はいつも

星を見ながら消えたいと思っていた

 

辛い思い、感情を発するあては

これもとうの昔から無かった

感想を聞かれる機会も無かった


だからその極まったストレスを

吐き出すようにして

私は万引きをして補導された

けれど両親ともに

黙っているだけで叱らなかった

訳を聞くこともなかった

 

 

高校進学にあたっては

今度ばかりはと

私が調べて意向を話し

志望校を1人下見して回っても

「人の幸せはね、いい学校に行って

 いい会社に入って、家を建てることなの」

と呟きながら

全てを無視して黙りこくった後に

'志望校'を担任と勝手に決めてしまった

 

スパルタ進学校だった

何も知らずに入ればそこは

中学時代の塾以上の暴力と暴言と支配だった

毎日の数ミリメートルのページの宿題に

椅子にロープで自分をくくりつける日々に

明け方空が明るくなって諦め寝る日々に

大学の進学理由や進学目的を考える時間

すらなかった

 

妹は言う

私が’吐きながら’通学していたと

それでも誰も気にしなかった

私は未だにその記憶を封印している


その妹も

幼少のころからの母による

猛烈なピアノ教育を忘れている

私が目にし続けた執拗で逃がさない

鬼の形相をした母による'教育'風景を


精神障害には至っていないが

私と同じく動悸と覚醒に苦しんでいる

 

 

母は自身のことをほとんど

特に生い立ちや自身の経験を話さないが

時折こぼした言葉がある

 

私が生まれた時の実母の補助来訪に

「モンペ姿が恥ずかしくて帰ってもらった」

 

妹が一軒家を建てた時に

自分の経験をなぞるかのような

「あなた'にも'いい人ができるわね」

 

同じ職場の父と結婚することを決めたことを

「お父さんは東京弁でかっこよかったの

 キラキラ輝いて見えたわ」

 

最近になって車窓からマンションを見て

「あそこはねお金持ちが住んでいるんだわ」

 

当時は大事なことをひとり黙り込み

子には思いもつかない思慮深さでもって

考えて考え抜いた結論かのように

いつもブレることなく決めて来たのに


それらの発言はあまりに

思慮と感覚の浅さを想わせる内容で

熟考と深い理由があったはずと

信じ続けてきた子を戸惑わせ失望させた


逆にその失望は

日常的な噛み合わない会話のやり取りや

あれだけ読書に耽ってきたにも拘らず

物事の感想などの頓珍漢な理解の仕方

思いつきで話すような失言の数々

突拍子もなく驚かされる態度や振舞い

それなのにどこかいつも気位が高いことを

やっと納得させてくれた



近年母は耳が遠くなったとともに

より一層他者に関心がなくなって

自分の世界をより小さく固めるようになった

過去の言動の記憶さえ都合よく書き換えて

「勝手にそう覚えているのよ」

「昔のことだからもう忘れてしまったわ」

と排除してまで

頭の中で理想の世界を作り

コンプレックスを埋め続けている

 

 

私の鬱の見舞いにかける最初の言葉が

「スマホ直してちょうだい」



父が言ってきた言葉に違和感を感じていた

「母さんは良妻賢母だ」

「母さんの料理はうまいよ」

「母さんはよくやってくれた」

最近になって

「だから母さんに良い補聴器を

 プレゼントした」


母は決してそうではなかったし


父のそれが

'よくやった'と一生を称える

母への報いの対価なのかと



悲しい



ありがとうございました