1ヶ月間に渡り、娘の闘病記録を綴ってきました。

昨年 少しは書いていたけれど、メモや家族とのやり取りも加えて、記録として残したいと思っていました。
辛すぎて抜け落ちていた記憶も、その時の感情も思い出しました。

途中、泣きながら書いていました。
娘がどれだけ頑張っていたか、どれだけ悔しかったか、やり残した事がどれだけあったか…
これらを考えると、苦しくて眠れませんでした。

一年前の10日、朝は夫と息子が始発で病室に来てくれて、出勤ギリギリまでいました。
この時も娘は目を覚ましてくれて、無言だったけれど最後の『いってらっしゃい』を言えたと思います。

この日 鎮静薬の量が4.0に上がり、これがMAXと聞かされていたのに、先生の知識不足で『若者は8.0まで上げても大丈夫だった』と後から聞きました。
薬をMAXにされても痛がってしまったら あの子が可哀想と思い、なかなか4.0へ踏み切れなかったけれど、実際は薬が効いていなかったから何度も目を覚まして…辛かったと思います。

夜6時にはさらに薬の量が増えて…
酸素の量も増やしました。

夜9時過ぎにやっと夫と息子が到着。
娘に「みんないるからね。大丈夫だよ」と声を掛けました。
娘は、家族が大好きだから病室へ全員が揃った時、安心したのでしょう。
ただ眠っていた娘の顔がホッとしたように見えました。

その後もどんどん薬も強くなり、何の反応もしなくなり、半分目を開けて寝ている娘を、ただただ黙って見つめていました。
まるでドラマを観ているようでした。

そして血圧が計れなくなりました。
脈拍は200以上。
これは、全力疾走と同じくらいらしいです。

それから3時間後に、娘は全力疾走をやめました。
突然のサヨナラでした。
でも、ありがとうって伝えられました…


本当に本当に頑張り屋の娘でした。



これで娘の『辛かった闘病記録』はおしまいです。
辛い過去は、もう振り返りません。
お母さんが泣いていたら、貴女も辛いものね。

貴女が大好きと言ってくれた、明るいお母さんに戻るね。
たまーに 泣いてても許してね。
見なかったフリをしてね。


家族4人。
とても楽しかった。

25年間ありがとう。

もちろん、これからも家族4人だよ。

貴女は 自慢の娘です。
私を選んで生まれてきてくれて
本当にありがとう。


今夜は、骨壷を寝室に移動させます。
お父さんとお母さんと…
一緒に寝ようね。
最後の晩だから、川の字で寝ます。



皆様。
長い長い闘病記録にお付き合い下さり、
本当にありがとうございました。