稚足媛皇女(わからたしひめのひめみこ) | ruriのブログ

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5代目伊勢斎宮、

21代天皇、雄略天皇の皇女です。

母親は有力豪族で、当時大臣を務めてた葛城円(かつらぎのつぶら)の娘韓媛(からひめ)です。

兄に22代清寧天皇がいます。

この一家もいろいろあったようで。。。

母方の祖父葛城円は眉輪王(まよわおう・父帝の従兄弟)が父帝の兄安康天皇(20代)を暗殺したとき、同じく下手人として疑われた坂合黒彦皇子(父帝の兄弟)をかくまった罪で実母の韓媛ともども父帝に謀反人の一味として葛城家の屋敷を放火して殺されたのです。

まあなんでそんなことしたのか?と私も思ったけどね。いくら葛城家の所有する土地を父帝に献上するからといわれてもね。。。あの暴君で有名で、疑心暗鬼の塊の父帝が簡単に許すはずはないのに。。。

 

その眉輪王ってのが、父帝の祖父にあたる16代仁徳天皇(彼が埋葬されてると伝わる今の大阪府堺市にある仁徳天皇陵こと大仙陵古墳は有名)

の息子大草香皇子と父帝の叔父で、履中天皇(17代)の皇女中磯皇女(中箒姫命、殺された安康天皇の皇后だった)と呼ばれた人との間の子供でした。まあ父帝からしたら身内であると同時に敵も敵ですよね。

どうやら、眉輪王の父大草香皇子は安康天皇にそもそも無実の罪で殺されて、実母の中磯皇女は安康天皇と再婚して皇后に上ったいきさつもあったようですね。。

そうなる前も因縁ありだったようで、大草香皇子の実妹の草香幡梭姫皇女(父帝の皇后)と父帝の縁談があって、結納の品にと押木珠縵(おしきのたまかずら)という宝冠を送ったら、それを使者の根使主(ねのおみ)という男がネコババしたんですよね。大草香皇子はなんとかして隠ぺいしようと(なぜそんなことしたかは不明ですが)したが逆切れした安康天皇は大草香皇子を殺したのです。

そして眉輪王は安康天皇の継子として母ともどもやってきたのです。だから成長した眉輪王は継父の安康天皇を殺したんだという伝承があったのです。

まあこんな父親やその親戚たちの因縁があってかどうか知らんけど、彼女は実母も後ろ盾となる母方の実家を失い、やむなく斎宮となってしまったのかもしれませんが(あくまで個人の意見)

そして成長した彼女も悲惨な最期となった???

斎宮に就任した彼女でしたが、病弱ということで付き人が付けられました。

五百野武彦って男でした。そして宮中ではこんなうわさが流れてきたのです。

「斎宮様と武彦が密通して斎宮様はご懐妊中だ」と根も葉もないガセネタが流れそれが父帝の耳に入り、すぐ切れやすい父帝は「斎宮とやつとの関係を徹底的に洗え!!もし真実なら斎宮は解任、武彦は死罪だ!」と命じたのです。

前も言いましたが、斎宮は天皇に代わって伊勢神宮の神様に仕える巫女です。だから処女が第一&必須条件ですよ。身内や自分自身に不祥事(不義密通やほかに謀反など罪を犯す真似をしたこと)や不幸(亡くなるとか)がない限りは解任されない慣習でした。でもこれは完全なうわさです。もちろんぬれぎぬです。彼女は懐妊もしてないし、付き人の武彦とは密通さえもしてません。

誰かの嫉妬でこんな讒言が出てきたんでしょうけどね。

阿閉臣国見というものが密告したらしく、それで斎宮は恥を忍んで自害、武彦も結局彼の父親(五百部枳莒喩・いおべきこゆ)の手によって殺されてしまいます。父帝の命令で遺体を発見した周りの者たち。斎宮の遺体を確認したらおなかの中からは胎児じゃなく、石がたくさん出てきたのです。

でも二人の無実は証明され、国見も結局武彦の父親によって無残に殺されます。

全く持って彼女の生涯も波乱含みだったんだなって思いました。

稚足姫皇女の生涯はこんな感じです。