メアリー・スチュアート | ruriのブログ

ruriのブログ

ブログの説明を入力します。

スコットランド女王です。

父親はスコットランドの国王ジェームス5世。母親はフランスの名門貴族ギーズ家の出身マリー・ド・ギーズ王妃。

兄二人(ジェームスとアーサー)がいましたが、二人とも幼くして病死。

彼女が生まれて一週間で父王はイングランドとの国境付近の戦で帰京したのはいいが、その後熱病で崩御。

結局スコットランド国王は彼女が継承しました。

母王太后マリー(メアリー)は母国に置いといても

イングランドの国王ヘンリー8世が息子エドワードの妻にメアリー女王をと執拗に申し入れてきたので(母王太后はヘンリー8世やイングランド嫌いだったと思ったが。)母の故郷フランス宮廷に彼女を託しました。

そしてメアリーは当時のフランス国王アンリ2世の宮廷に入り、そこで教育を受けます。

やがてアンリ2世と王妃カトリーヌの長男フランソワの妻となります。

やがて義父のアンリ2世が馬上槍試合の事故で崩御、

夫のフランソワが国王に即位。メアリーはフランス王妃も兼任します。

でも夫の国王はもともと病弱な人で即位してわずか1年半で崩御。

メアリーは未亡人となり結局母国のスコットランドに帰国します。

メアリーがフランスにいたころに女王代理として国政に携わってた母王太后が崩御されたのもありますが。

そして二度目の夫ダーンリ卿ヘンリーと再婚。従姉弟同士(父王の姉妹の息子)だったと思ったが。

それまではイングランドのエリザベス女王同様いろんな縁談が舞い込んできたようですね。

神聖ローマ帝国のカール大公(皇帝フェルディナント1世の三男)、スウェーデンの国王エリク14世、デンマークの国王フレゼリク2世などなどですけど。

再婚した夫は結構イケメンでメアリーの一目ぼれだったらしいけど。

やがて二人の間に長男ジェームスが誕生。ここまでは仲が良かったけど急速に夫婦間に溝ができ始めました。原因はメアリーの不倫疑惑?相手は彼女の秘書のようですが。結局この秘書は哀れにもメアリーの目の前で殺されますが、これは全くのデマでしたけど、ただそれを信じ込んだ夫との夫婦仲はすっかり冷え切ってました。まあ夫も元々傲慢な性格で使用人相手にパワハラしてたようですね。

そしてそこに出会ったのがボスウェル伯爵という男でした。またこのボスウェルもイングランドとの戦いで勝利に導いたり、自国の兵隊を訓練させたり、、軍人としては有能だった一方、貴族とは名ばかりのどうしようもない一面もありました。(父親の素行が悪く借金まみれの家庭だった)ただメアリーの母王太后も生前彼を重用してたこともあり、メアリーはすっかり彼を気に入ります。ただメアリーの異母兄マリ伯爵と争っていったん彼が勝利したけど。。

そして夫のダーンリ卿の館を爆破させて殺します。

そして真夜中にひっそりボスウェルと結婚式を挙げたというから流石に貴族もスコットランド国民も呆れ果て女王はもういらんと反乱を起こします。そしてその反乱の指導者が例のマリ伯爵でしたけど。結局ボスウェルは自分の領地にいったん逃げたけど結局逮捕され収監されてそこで獄死します。

メアリーは息子のジェームスに王位を譲り、命からがら逃げ、イングランドのエリザベス1世に助けを求めます。最初の内こそエリザベスも彼女を気の毒に?思いお客様扱いにして、ただロンドンから遠い城に住まわせ、彼女の宮廷を開くのを認め、ある程度の宴会も開くのを認めてたたけど、だんだんメアリーも調子に乗り、エリザベスの好意を無駄にするようなことばかりしてたようですね。そしてあろうことか、エリザベスの暗殺の機会を狙ったり、また自分はスコットランド女王だ。エリザベスより王位継承権が正当だ。あの女王は庶子じゃないの?とか側近に漏らしてたとか。あとは私はカトリックだからスペインとかの後ろ盾もあるのよとか。そういう傲慢な振舞を幾度もしたので、だんだんエリザベスも彼女をうざく思いとうとう18年後に処刑に踏み切ります。享年45歳。

 

私に言わせるなら彼女の後半生は同情の余地はないなと。。全部自分の蒔いた種だと思ってます。