幸太郎が発病したとき、

 

どこへ向かって、どう歩いていけばいいのか、

 

真っ暗な中、崖っぷちを手探りで歩いているような、

 

それでも、光を求めて歩き続けなければならないような、

 

24時間歩き続けても、1ヵ月歩き続けても、

 

どこへ向かって歩いているのか、

 

どう歩いていけばいいのかわからないまま、

 

まるで、止まった時計の上を歩いているような毎日でした。

 

 

 

 

2013年3月20日に幸太郎が亡くなって、

 

それから11年経った2024年3月末に、主人の腎がんが見つかった。

 

 

 

幸太郎が亡くなってからの11年は、私にとって修行の毎日でした。

 

幸太郎の死に対して、

 

私が癒される方法は、たった一つ。

 

「幸太郎と再び会うこと」

 

その方法を見つけるために、300冊以上の本を読みあさりました。

 

 

 

幸太郎は、亡くなった直後から私に奇跡を見せてくれました。

 

その方向へ意識を向け、行動した結果、

 

いつの間にか、私の心は癒されていきました。

 

 

 

行動とは、

 

目の前の現実を観た結果、どんな選択をしたか。

 

そして、その選択した方向に動いたか。

 

 

 

11年、幸太郎から学び続けた私は、

 

主人が「がん」だと聞かされた直後から、

 

「今、この瞬間の選択」に意識を向けました。

 

 

 

幸太郎の時のように、何をすればいいのかがわからない私ではありませんでした。

 

 

 

 

私には、主人の「がん」を治すことはできません。

 

でも、私の心が一番癒されるのは、

 

主人が、元気で生き続けてくれること。

 

私の意識の舵を、その方向へと決めました。

 

 

 

さあ、後は、目の前に現れた現実に対して、

 

どんな選択をし、行動をしていくか。

 

それだけです。

 

 

 

選択は、

 

自分の胸の奥が、モヤモヤしない方向です。

 

胸の奥のモヤモヤは、『魂の羅針盤』の向く方向から外れた愛図です。

 

『魂の羅針盤』とは、「本当のわたし」が望む方向です。

 

 

 

大切な人が病気になると、どうしても病気に意識が向いてしまいます。

 

治って欲しいと願います。

 

それは、当然のことです。

 

 

 

でも、この世界のしくみは、「想う通りになっても、思い通りにはならない。」

 

 

 

「治って欲しい」と願っているのは、「治らないことに対する不安」があるからです。

 

「治らないことに対する不安」は、「想う」方です。

 

「治って欲しい」は、「思い通り」にしようとしていることです。

 

 

 

このしくみを知っている私は、

 

自分の「想う方」の願いを叶えていきました。

 

 

 

何度も言いますが、

 

私がどうあがいても、主人を治すことはできません。

 

 

でも、私のことはわかります。

 

 

 

「あぁ、ここ、片づけたいけど、主人が入院してるし、そんなことしてる場合じゃないわ。」

 

そうです。

 

掃除なんかしてる場合じゃないと思ってしまいます。

 

でも実際、掃除をすることと、主人の病気は全く関係がないのです。

 

 

 

私の心に余裕がないことを、主人の病気のせいにしているだけのことです。

 

 

 

「想い通りにはなるけど、思い通りにはならない」

 

なら、「思い通り」を「想う通り」と=(イコール)にすればいい。

 

 

 

だから私は、片付けをする方を選択しました。

 

 

 

主人が発病する前から、とても気になっているのに、

 

「まっ、いいか」

 

と、やり過ごしていたことがありました。

 

 

 

それは、私の印鑑証明の印鑑が気にいっていなかったこと。

 

だから私は、自分が気に入る印鑑を買いに行き、市役所に行き、印鑑証明を変えました。

 

 

主人の病気と印鑑証明は、何の関係もありません。

 

 

でも、片付けをしようとする私と、印鑑証明を変えようとする私には共通点があります。

 

 

自分の「想い」を叶えたことです。

 

 

 

私は、思い通りにしようとせず、「想い」を叶え続けました。

 

 

 

そうすると何が起こるかといいますと、

 

胸の奥がモヤモヤすることが、とても不快になります。

 

不快なのは嫌なので、不快を快にさせようと動きだします。

 

 

 

人は、何度も繰り返せば習慣になります。

 

 

 

「想い」を叶えるようになると、

 

その「想い」が叶うような情報が目に入ってくるようになります。

 

 

 

これが、脳のフィルターです。

 

人は、見たい物しか見ないし、聞きたいことしか聞かない。

 

 

 

主人が元気になるための情報が入り始めます。

 

 

 

それは、

 

本であったり、

 

最強の野菜スープであったり、

 

運動であったり、

 

治療であったり・・・

 

 

ありとあらゆる、

 

主人が元気になる情報が入ってきます。

 

 

 

ここでも、胸のモヤモヤ感に意識を向けます。

 

得た情報が良い情報であっても、主人にとって良い情報だとは限りません。

 

私が良いと思っても、主人が嫌だと思えば、それは主人にとって良い情報ではありません。

 

 

 

そんなふうに、

 

思い通りにしようとせず、

 

「想い」を叶えることに意識を向け続けました。

 

 

 

2年前、手術はできないと言われた腎がんでしたが、

 

手術ができ、肺にあった転移も画像上なくなり、

 

今日も一緒に買い物に行き、

 

主人は元気に過ごしています。

 

 

 

これからのことは、わかりません。

 

 

これからのことより、

 

「今、この瞬間」の積み重ねが、これからの未来になります。

 

 

 

 

「今、この瞬間」の選択を、丁寧に、丁寧に、行動に移していきます。