WBCが、ネットフリックスでしか観られないないことがわかって、慌ててネットフリックスを契約した。

 

契約したから、WBC以外の番組も観ることができます。

 

そこで見始めたのが「仁」という、随分前のドラマ。

 

 

脳外科医が江戸時代にタイムスリップをして、そこで医療を教えたり、坂本竜馬など歴史上に残るような人物と出会い、さまざまな出来事を体験していく物語。

 

普段、ドラマなど全く興味のない主人も、一緒に観ていました。

 

お昼から観だして、夜の11時まで観たり…

 

さっき、やっと最終回を観ました。

 

 

 

現在には、当たり前にあるレントゲンやCT、薬もない時代。

 

私が看護師に成りたての頃は、CTスキャンは1台、1億円と言われていました。

 

CTスキャンがある病院は、すごい金持ちだねと言われるほどでした。

 

今は、新しいタイプのMRIなどを購入すると、プレゼントのようについてくるCTです。

 

 

 

不便だったことを何とか解消できないかと、どんどん進歩していっています。

 

 

 

いつも安かった卵が高くなり、

 

いつもあったお米が手に入らなくなったり、高くなったり、

 

いつも当たり前のように入れていたガソリンが、今後どんなふうになるかわからない。

 

 

不便になった途端に、当たり前ではなかったことに気づきます。

 

 

 

「がん」は、どちらかというと、そういう物質的なことではなく、

 

「生きていることの意味」を考えさせられます。

 

 

 

大切な人が病気になると、途端に歯車が崩れ始めます。

 

 

「がん」に成りたくてなったわけではない。

 

当の本人が、一番そう思うのでしょう。

 

「がん」によっての体の不調を、いやでも感じているのは、本人です。

 

 

今の体調が、薬の副作用によるものなのか、

 

それとも、「がん」が悪さをしているのか。

 

 

健康な時であれば、何も気に留めないような症状が、全て「がん」と結びつきます。

 

そしてそれは、当の本人だけではなく、観ている家族もそう思います。

 

 

それを観ている家族も辛い。

 

元気でいてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

主人は今、とても穏やかです。

 

もちろん、カボメティクスを内服しているので、その副作用である味覚の変化や手足症候群、軽い下痢などはありますが、とても軽く済んでいます。

 

1月末から副鼻腔炎で、体調を悪くしていましたが、それもようやく治りはじめ、抗生剤も止めて、様子をみているところです。

 

さっきも、「僕が洗うよ。」と、夕食後の後片付けをしてくれたので、私は、こうやってブログを書いています。

 

 

 

 

主人自身が、さっき言っていました。

 

「2年前の今日は、腎生検のために入院していた。そのまま抗がん治療になって、1週間の入院だったけど、これからどうなるんだろうって、不安で不安で仕方なかった。でも、2年経って、生きてる。」

 

 

腎がんが映ったCTの画像を観たとき、

 

「このまま何もしなければ1ヵ月で主人は死ぬ。」

 

私は、そう思いました。

 

 

 

 

主人や幸太郎が、当たり前のようにいた世界がありました。

 

主人のことを不満に思ったり、幸太郎に対しても望むことがありました。

 

 

でも、主人に対して不満に思えた世界があったこと、

 

幸太郎に対して、望むことがあったこと

 

当たり前であったことが、当たり前でなくなる世界。

 

 

 

これは、感謝するとか、ありがとうと言うとか、そういう意味合いと違うように思います。

 

 

 

今日も、私を働かせてくれる場所があり、

 

今日も、働かせてくれたお陰で、お給料が頂けて、生きていくための生活ができる。

 

 

今日も、家族のご飯が作ることができて、何も残っていないお皿を眺めることができる。

 

 

 

 

幸太郎が入院している時に言っていました。

 

「働けるなら、どんな仕事だって僕はする!」

 

 

 

 

何のために、こんな辛い想いをしなくてはならないのかと、数えきれないほど質問をしてきたけれど、

 

そういう質問ができることそのものが、愛おしいと、そう思います。

 

 

 

「がん」は、決して憎むべきものでも、闘うべきものでもなく、

 

人として生まれて生きていく、生き方を教えてくれている。

 

そう思わずには、いられないのです。