自分の未来が、「こうなっていればいいなぁ~」と思う事があります。
「じゃあ、そうなるには、どうすればいいんだろう。」
そう思う時、大抵は、「そうなっていること」に意識が向いてしまいます。
「そうなっていること」とは、
例えば、自分のお店を持つとか、何か特技を持つとか・・・
そういう時、意識するのは、お店を持つ為の方法になります。
ですから、お店を持つためには、どんな手続きをすればいいのだろうかとか、既にお店を持っている人に聞きに行ったり、専門の方に相談に行ったりします。
もちろん、そうしなければ、お店を持つことはできないので、至極当然に手続きを行っていきます。
そうすればお店を持つことができて、あとは、お客さんに喜んでもらうことや、売り上げが上がるような工夫をしたりして試行錯誤しながら、運営をしていきます。
お店はお店であり、生活の為であったり、やりたいことであったりと、自分の私生活の過ごし方とは、何ら関係がないと思っていました。
職場ではストレスがあるから、
家では、ぐーたら、ダラダラしたい。
誰も見ていないのだから、
好きなようにしたい。
ぐーたらするのがいけないとか、ダラダラしているのがいけないとかの話しではなく、
私生活のわたしも、仕事をしているわたしも、全てがわたしで、
仕事と私生活を分けているのは、人間であるわたし。
おそらく、
私生活が調っている人は、職場でも調っています。
私生活が、調っているとは、
食事をきちんと摂り、お部屋も綺麗に掃除されていて、衣服も整理されて、家族の中でも、思いやりがある生活。
職場で整っているとは、
その場に応じた服装や態度、ふるまいができて、責任をとることができ、仕事もやりこなしていき、人間関係も穏やかに過ごすことができている。
職場で整っていても、私生活が、グチャグチャな人は、いずれ崩れ始めます。
私生活で、
「どうでもいいや。」
「めんどくさい。」 と、
自分が心の中で決定したことを、無視し続けると、
職場であろうが、どこであろうが、そのクセは出てしまいます。
思っていることは、必ず現実になるからです。
栗山元監督は、24時間365日、神様が自分を観ていると思って過ごされています。
わたしも、そう思っています。
わたしが何を思い、何を考え、どんな行動をしているのかを、神様は24時間365日観ている。
ダラダラするのがいけないのではなく、
「休みたい、横になりたい」「ダラダラしたい」と決定したことは、すればいいのですが、
自分の中で、
「これをしよう。」と決めたのに、
「やっぱりめんどくさいから、や~めた。」 その結果、ダラダラする。
誰だって、そういうことはあります。
やろうとしていたけど、やっぱり気が乗らないなんて、数えきれないほどあります。
ただ、わたしの、「今、この瞬間」の選択と行動が、わたしの生きざまであり、
わたしの、「今、この瞬間」の選択と行動が、未来のわたしを決定しています。
何の勉強もせずテストを受けたわたしと、
全ての準備をやりつくしたわたしがテストを受けた時の結果は、明らかです。
今のわたしを助けてくれるのは、過去のわたしです。
過去に、何の貯えもなければ、今のわたしを助けることはできません。
60歳を過ぎて、こんな大切なことに気づきましたが、
何も遅くはないと思っています。
「今、この瞬間」の生きざまが、どんな未来を創っていくのか。
楽しみに拝見していこうと思っています。