法則とは、誰がやっても、何があっても、誰がやらなくても、何もなくても、必ずそこに在るモノです。
手に持っていたコップを手放せば、コップは下に落ちるように、
水は必ず、高い所から低い所に流れるように、
必ず、そうなる。
それが、法則です。
この世界は、幻想世界です。
わたしは、この幻想世界を捉え間違いしていました。
イメージでいうと、
見たモノ、聞いたモノ、触ったモノ全て、脳が判断していて、そう観えてるだけの世界だと思っていました。
わたし達は、頭の中で、とにかく色々考えています。
何かを計算したり、必要なことを記憶したり、文字を書いたりしています。
計算したり、記憶したり、文字を書いたりするそのものは、ただ、それをしているだけです。
でも、現実には色々な人と出会い、色んなことを体験し、学んでいきます。
その中で、わたしの中の「正しい」が創られていきます。
その「正しい」は、比較によって創られていきます。
「あんなには、なりたくないから、わたしは、こうしよう。」
「あんな考え方はおかしい。わたしの方が正しい。」
自我を手放す時の最大の難関は、この「正しい」です。
当たり前のように、頭の中で思っています。
それは、「誰が聞いてもそれは正しいでしょ。」ということも、わたしだけが、それが正しいと思っていることも全てです。
「あなたは、積極的でいいわね。」
そう言われて、
「いやいや、冗談でしょ。そんなことあるわけないじゃない。」
と答えたとしたら、これがわたしの「正しい」です。
自我の想いの着地点は、必ず「わたしが正しい」位置です。
色々な出来事があって、色々考えることがあって、「ああでもない、こうでもない」と思いめぐらし、頭の中で、いつまでも喋り続けている内容は、
必ず、「わたしが正しい」と、納得する物語です。
これが幻想物語ですが、この幻想物語を語り続けている限り、この幻想物語が具現化し、現実世界に観える形となって現れてきます。
この世界は、「想い通りにならないけれど、思う通りになる世界」です。
比較することで生まれた、わたしの正しい世界は、比較という二元性の世界で生まれました。
ですから、必ず相反する想いが存在します。
見事なまでのタイミングで、必ず陰と陽は、引き合います。
そこで、「わたしが正しい」が消滅するような、選択と行動をしていくことができれば、陰と陽は一対になり、調和になります。
ところが、自我は、我が強い。
「わたしが正しい」を、どこまでも貫き通します。
一対になれない。
一対に成れるチャンスを逃してしまいます。
頭の中で考えている「わたしが正しい」は、保身という強烈な意識が根源です。
「わたしが正しい」を手放そうとしません。
ですから、頭の中で幻想物語が創られ、何度も何度もそのことを思い、何度も何度も考えます。
それが、現実世界に現れます。
頭の中で幻想物語が始まった瞬間に停止する。
停止し続けない限り、頭の中の幻想物語は、必ず現実世界に現れるというループから逃れられない。
自我の世界から、脱出できない。
いつ放出したかわからない、わたしの幻想物語は、必ず現実世界に観えるようになります。
その現実に抵抗せず、法則通りに、選択と行動をしていきます。
今までも、それをやってきたつもりでしたが、
この自我の世界は、「つもり」では、到底太刀打ちできない世界なんだと、心底わかりました。
この世界は、現実と、宇宙の法則が在るだけ。
わたしが遣っている、幻想物語を停止する方法は、自我を納得させてあげることです。
自我は、「わたしが正しい」と、わかってくれたらいいと思っています。
頭の中で、自分を守るために言っていることは、全て
「そう思ってるんだよね。」
そう答えています。
今までもしていました。
でも、甘かった。
今わたしは、必死で取り組んでいます。
必死で取り組まないと、望む未来にならないからです。