「いい人だと言われたい。」

 

「あの人、いい人よねぇ。」

 

 

 

「あの人、いい人なんだよ。」と聞くと、

 

「へぇ~、いい人なんだぁ」 と、意味もわからず納得して、わたしにとっても、いい人になってしまう。

 

 

 

「いい人」が、大きな事故に巻き込まれたり、重い病気になったりすると、

 

「あんないい人が、どうしてこんなことになるんだろう。」 と、

 

無意識に、「いい人」に、ひどいことは起きないはずなのに。みたいに思ってしまいます。

 

 

 

 

霊性進化プロセスには、人間が言う、「いい人」も「悪い人」も全く関係がありません。

 

 

 

そもそも、「いい人」って、どういう人かと考えてみると、

 

「わたしにとって都合のいい人」になります。

 

 

 

 

霊性進化プロセスの存在に気づくことができると、

 

感情が、課題投下のサインだと気づきます。

 

課題を解けば、その感情に振り回される必要もないことも気づきます。

 

 

誰かに対して、『不快』を感じるのは、裏側のわたしを観るからです。

 

どうしても、わたし達は目が見えるので、

 

容姿とか態度とかをみてしまうために、

 

「わたしの裏側に、あんな人がいるわけないじゃない!」

 

と思ってしまいますが、

 

裏側の見方がわかるようになれば、100%、「わたし」だとわかります。

 

 

 

 

わたしが、イヤだと選ばなかったわたし。

 

わたしが、イヤだと裏側へ押し込んだわたし。

 

わたしが、一番大っ嫌いなわたし。

 

 

大っ嫌いなわたしが、目の前に鏡として立っているのですから、当然大っ嫌いになります。

 

 

 

だけど、その大っ嫌いは、必ず、わたしの裏側にいるわたしを認める、受け入れることだとわかると、

 

どんどん、課題を解いていこうと思います。

 

何故なら、課題を解くと、大っ嫌いなその人のことが、大っ嫌いではなくなるからです。

 

 

 

 

大っ嫌いでなくなるということは、その人と関わりを持つことができます。

 

関りを持てるということは、お互いにとって「いい人」という存在になります。

 

 

 

それも、いい人にならなきゃいけないとか、

 

いい人って言われるようにしなきゃって、我慢したり、ニコニコしたりしなくても、

 

自然に、仲良くなれる。

 

 

 

相手のことを赦せないのは、鏡に映ったわたしの何かが、赦せない。

 

わたし自身が、受け入れることのできない、認めることのできない何かがある。

 

 

 

 

この世界は、陰陽一対になっています。

 

陰陽一対になって、はじめて安定します。

 

 

 

大っ嫌いな人が現れたら、一対になる最大のチャンスで、

 

霊性進化プロセスでいえば、とても、とても、とても大切なチャンスです。

 

 

 

その大っ嫌いな人がいない限り、わたしの裏側を観るチャンスは、ありませんから。