わたしが観た現実世界を、どう捉えるか。

 

それが、わたしの現実世界になります。

 

 

 

 

朝起きて、家族と朝食を食べていたら、わたしが作った味噌汁を、「美味しくない。」という。

 

途端にわたしは、不愉快になる。

 

みんなより、夜は遅く寝て、朝は一番早く起きているのに、まだそんなことを言われなくてはいけないのかと、腹が立つ。

 

「じゃあ、自分で作ってみろや!」

 

と言いたくなる。

 

出勤しても、その不愉快が続いて、ちょっとした誰かのミスが、とても気になり、腹が立つ。

 

 

 

という世界を創造することも、

 

 

 

朝起きて、家族と朝食を食べていたら、わたしが作った味噌汁を、「美味しくない。」という。

 

「あれ~バレたぁてへぺろ 味噌を買っておくの忘れてて、いつもよりお味噌が入ってないのよぉ~。今日は、お味噌買ってくるから、明日は大丈夫!」

 

出勤して、みんなに「おはよう!」と、元気よく挨拶する。

 

 

という世界も創造できる。

 

 

 

 

「無限の可能性が、わたし達には、ある。」と言われると、

 

何か特別な人に成れるかのように、わたしは思っていました。

 

 

 

わたしにとっての無限の可能性は、

 

この毎瞬を、どう捉えるか。

 

この捉え方が、無限にあるんだと気づきました。

 

 

 

わたし次第で、どんな世界にも創造できる。