「そうなって欲しい。」

 

そう思います。

 

 

「望む結果になって欲しい。」

 

そう思います。

 

 

強く願っても、願っても、そうはならない。

 

何故なんだろう。

 

そう思いました。

 

 

 

 

 

願い方が、間違っていたんです。

 

 

 

 

「◯◯大学に、絶対に合格するぞ!」

 

そう思う裏っかわには、

 

 

“合格しなければならない。”

 

“不合格だったらどうしよう。”

 

“予備校なんて行くお金がないし、浪人なんてしたくない。”

 

“合格しなかったら、親ががっかりするだろうし、友達にも会いたくない。”

 

 

 

宇宙の法則は、意識していることより、無意識の方が強い。

 

無意識は、本当に無意識に何度も何度も考えていたりします。

 

 

 

 

 

「◯◯大学に、絶対に合格するぞ!」

 

と意識する裏側には、無意識の不安が存在しています。

 

 

 

その不安を払拭しようと、がむしゃらに勉強をします。

 

勉強すればするほど、

 

「あれもわからない。」「これもわからない。」 と、どんどん不安になっていきます。

 

わたしが放出しているエネルギーは、不安のエネルギーであり、

 

合格の方向ではなく、不安の方向へ意識が向いてしまっています。

 

 

 

 

 

二元性を遣ってしまうと、「合格する」か「不合格」か。しかありません。

 

 

 

 

 

ですから、裏側のない世界を創っていきます。

 

 

「◯◯大学に行って、◯◯のことをもっともっと学びたい。」

 

「◯◯大学に行って、彼氏をみつけて、エンジョイしたい。」

 

 

なんでもいいんです。

 

ワクワクする方向へ意識を向けていきます。

 

受験勉強が、合格するためのモノではなくなり、そこへ到達するためのプルセスになっていきます。

 

 

やりたいことの為なら、なんでもやる。

 

好きなことなら、努力が努力でなくなる。

 

 

肯定の波に意識を乗せれば、辛苦は辛苦ではなくなります。

 

 

 

 

 

望む結果があるとき、望む結果をイメージするのではなく、

 

その結果が得られた時のわたしを、イメージします。

 

 

「わたしは、ガッツポーズをする。」

 

「親が、メチャクチャ喜ぶ。」

 

 

この想いには、裏側がないからです。

 

 

 

そう願いを決めたら、

 

自我の言い訳には応じず、肯定の選択を常にしていきます。

 

自分の閃きを信じていきます。

 

めんどくさいを遣わず、やると決めたことはやっていきます。

 

 

 

 

 

結果は、どうでもいい。

 

それがあってもなくても、そうなっていればいい。