「東大に行こう!」
そう決定すると、プロセスが開始されます。
この時のプロセスとは、
塾へ行って勉強したり、過去問をしたり・・・
とにかく、東大に合格するという未来に向かって動き始め、
「東大に合格する。」
という結果を観る世界を体験しようと、意識をその方向へ向けて行動します。
意識をそちらに向け行動していけば、誰もが東大に合格するのであれば嬉しいのですが、そうとも限りません。
適当に勉強してきた人よりは、わからないことは必ずわかるまで勉強してきた人や、課題が出れば、それを確実にやり続けてきた人の方が、遥かに合格率は上がります。
「願いを叶える」のも、これと同じ構造があります。
わたしが願いを紙に書く時は、「◯◯に成りたい。」 とは、書きません。
大学受験で言えば、「◯◯大学に合格したい。」より、「◯◯大学に合格する。」の方が、決定が明確だと思っているので、「◯◯する。」「◯◯なる。」と言い切ります。
願いは、願わないことです。
「東大に合格する。」より、「理系の大学に合格する。」の方が、ずっと願いは叶いやすくなります。
それは、妥協することではありません。
そもそも、「東大でなければならない理由があるのか?」です。
わたしの宇宙は、わたしのことを全てわかっています。
わたしが理系が好きなことも、どれくらい学習能力があるかも、どれだけ勉強してきたかも、どれだけの知識や体験をしてきたのかも知っています。
大学は、この大学と決めなければいけませんが、その大学が自分に合っているかどうかはわかりません。
「理系をもっと学んで、◯◯の方向へ進みたい。」
そう願った時、必ずしも大学へ行く必要はないかもしれません。
自分の中の、「~しなければならない。」「~それしかない。」を手放してしまいます。
願いも同じで、1点集中型の願い方をすると、そこだけにフォーカスしてしまい、とても狭い選択をしてしまうことになります。
結婚相手募集でいえば、
「年収3000万で、イケメンで、身長は180㎝以上ある人。」と決めてしまうと、
イケメンで、身長が180㎝以上の人しかフォーカスしなくなり、おまけに3000万だと、なかなか見つからない。
みつかったとしても、その人と幸せになれるかといえば、そうとも限らない。
「わたしが、わたしのままでいられるパートナーと結婚する。」と決めれば、世界中の人が対象になります。
何にせよ、意識の世界で決定をすると、プロセスが開始されます。
その結果に辿りつくための、課題投下が開始されます。
大学受験であれば、過去問とか塾からの課題のように、目の前に課題が投下されます。
ところが、この課題が、願いが叶うための課題であると、誰も教えてくれません。
そして、その課題を解いたところで、それが望む結果に辿り着ける方法であるのかどうかもわかりません。
自分が願ったことに関係するうようなことであれば、一生懸命に取り組もうとするかもしれません。
自分が願ったことと関係するような人に対してであれば、人間関係を良くしようとするかもしれません。
でも、それ以外のことは、関係ないからと、無視してしまいがちです。
だから、望む願いが叶わないんです。
わたしが観ている現実世界は、
わたしの意識の方が先で、現実に観える世界は後です。
わたしの内側の世界を変えていかない限り、現実世界には観えないしくみになっています。
言い換えれば、
わたしの内側の世界を変えれば、現実世界も変わるということです。
わたしの願いを叶えてあげれば、現実の世界も願いが叶う世界が観えてきます。
わたしの嫌がることをしなければ、現実の世界にも、わたしが嫌がるような出来事は起こりません。
わたしが学ぼうとすれば、現実の世界にも学ぶ世界が現れます。
わたしが、わたしのことを大切にすれば、現実の世界も、わたしを大切にしてくれます。
わたしが、わたしのことを信頼していれば、現実の世界も、信頼する世界が観えます。
わたしが、わたしのことを好きであれば、現実の世界でも、好きな人ばかりになります。
これらを全て網羅し、継続していれば、
自分で自分の人生を、思う通りに創造できます。