わたしが観る外の世界は、わたしの意識を投影している世界です。
鏡の世界になっています。
自我の世界にいた時のわたしは、そんなしくみがあることなど全く知りませんでしたから、
いつも外の世界を変えようと、自分の望む世界に変えたいと思っていました。
じゃあ、鏡の世界だと知って、直ぐに理解できたかと言われれば、
全くそうではありませんでした。
わたしにとって都合の良い時は鏡になり、都合の悪い時は、鏡はどこへやら・・・。
相変わらず、外の世界に向かって、願いを叶えようとしていました。
自分が観る外の世界に、わたしの願いが投影されるようにするとは、いったいどういうことなんだろうか。
何もわかりませんでした。
「わかりませんでした。」という過去形をつかったということは、今は、わかる。ということです。
「わたしの願いも、あなたの願いも叶える。」
わたしの願いとは、わたしが一発目に思ったことを叶えることです。
「起きようか。」 → 起きる。
「お風呂入ろうか。」 → 入る。
「この歯ブラシ、使いにくいなぁ。」 → 歯ブラシをかえる。
「このインナー、ヨレヨレだなぁ」 → 新しいのに変える。
わたし自身を、不快にさせないことです。
イヤだと思っていることを、続けないことです。
高い物を買うのではなく、自分が気にいって、それを使うことが嬉しい、楽しい、気持ちいいと思う物を使う、目に観えるところに置く。
「そうしたいと思っている」ことは、そうしてあげます。
この意識の遣い方をするには、自分に意識を向ける必要があります。
自分が何を望んでいるのか、常に意識していく必要があります。
でも、これを継続していくと、半端ない満足感が胸の奥に充満してきます。
満ち足りてきます。
ですから、何か物を買って、自分の中の空間を埋める必要がなくなってきます。
無駄遣いをしなくなりますから、当然、無駄な支出が減っていきます。
満足していますから、体調も整います。
体調が調うので、病院に通う必要もなくなります。
「あなたの願いも叶える。」
これは、自我の世界にどっぷりはまっていると、言われたことを何でもしてあげることであるとか、「きっとこうして欲しいに違いない」と、わたしの勝手な思い込みでしてしまうことと勘違いしてしまいます。
あえて順番を付けるとするなら、
「わたしの願いを叶える」 ことができるようになれば、「あなたの願いも叶える。」 という『理』がわかってくるように思います。
「わたしの願いも、あなたの願いも叶える。」ことが、当たり前のように、無意識にできるようになってくると、自分が観る外の世界に、ふと思ったことでさえも、願いが叶う現実が観えるようになってきます。
気になっていたことが、どんどん解決されてしまいます。
それも、半端ないスピードで。
その体験をすることで、どんどんこの世界のしくみを信じることになります。
思い通りにはならないけど、思う通りになります。
思う通りとは、わたしが、信じたことです。
信じたことは、必ず、わたしが観る現実世界に現れます。