す 

 

 

人は必ず、決定してから行動をしています。

 

言い方を変えれば、「未来を決定しているのは、わたし。」 になります。

 

 

 

「ダイエットする為に、ジムに行こう!」

 

そう決定したら、必ずジムに行きます。

 

でも、

 

「ダイエットする為に、ジムに行こう!・・・でも、やっぱり止めよう。」

 

となれば、ジムには行きません。

 

 

 

今、この瞬間の決定が、未来を決定しています。

 

 

 

「ジムに行く」という、実際に行動したり、会費を支払ったりという行動に対しては、意識していますが、毎瞬毎瞬の行動には、意識などしていないものです。

 

 

 

自我優位の世界では、頭の中が

 

 

こんな状態ですから、自分が何を考え、何を思い、何を決定しているのかなど、意識すらしていません。

 

その状態で、外の世界を観ていますから、自分に不快な出来事が起きると、「周りのせい」となってしまいます。

 

 

 

自我を手放していくと、頭の中は

 

 

イメージでは、こんな状態になります。

 

とても静かで、自分の魂の羅針盤の指し示す方向へ歩いている状態です。

 

自分が何を考え、何を思い、どんな行動をとっているのかが明確にわかりますから、

 

今、この瞬間、どちらの方向へ意識を決定させ、行動に移せばいいのかが明確です。

 

向かうのは、『肯定の流れ』の方向です。

 

 

 

頭の中が静かですから、スピリットガイド(=意識界のわたし。宇宙の叡智等々)とのコミュニケーションも取れ、『肯定の流れ』からズレるような思考が現れると、戻すようにアドバイス(=導いてくれる)をくれます。

 

 

 

 

 

 

「決定」をすれば、プロセスが開始されるので、自分の望むことを決定すれば、おのずとプロセスが開始されます。

 

それは、「ダイエットの為に、ジムに行く」という決定と同じです。

 

ただ、ジムというのは、この現実の世界に存在する、観えるモノです。

 

その手続きをしないと、ジムに通うことはできませんから、全ての人が、その手続きを踏んでジムに通うことになります。

 

意識の世界での、観えない決定を、現実の世界で観える行動をして、わたしが観る現実世界に、ジムで運動するわたしを創造します。

 

 

 

 

 

わたし達には、願うことがあります。

 

その願うことは、今、わたしの現実には現れていないから願います。

 

ジムのように、「こうすればこうなる。」と、その手続きさえすればいいのであれば、願うことは簡単に叶ってしまいますが、そうではないから願ってしまいます。

 

 

 

願いを叶えたい時は、願いを願わないことです。

 

 

「◯◯に成りたい。」とか、「◯◯が欲しい。」とか願ってしまいますが、

 

これは、「そう成っていないこと」、「それが無いこと」を、決定してしまっています。

 

 

 

「◯◯に成りたい。」と思うのは、何故なんでしょう。

 

人の役に立ちたいから?

 

お金を自由に使いたいから?

 

誰かに好きになって欲しいから?

 

 

 

願いを願わず、この着地点に意識を向けます。

 

あとは、その着地点とは全く関係のないことだと思っても、目の前に現れた現実に対し、

 

「今、この瞬間」の選択をしていきます。

 

 

それが、決定に向けたプロセスだからです。

 

 

 

その着地点に到達する方法がわからないのは、人間意識です。

 

意識界のわたしは知っています。

 

 

 

 

わたし達は、無意識に、ものすごい量(思考)の決定をしています。

 

「あの人は、いつも私に嫌味を言ってくる。」 = 決定 = そう成るプロセスが開始される。

 

ならば、

 

「あの人と、仲良く成る。」と決定すれば、そう成るプロセスが開始されます。

 

 

こうやって、わたしの現実世界が創造されていきます。

 

未来は、わたしが決定しています。