わたしがこの精神世界に興味を持ちだしたのは、11年前の3月20日です。
「息子が亡くなった。」ことで、
わたしは、奈落の底に落ちました。
“わたしはいったい、この奈落の底から、どうやって這いあがるんだろう。”
そう思いました。
そして思いました。
わたしが癒される方法は、たった一つ。
「息子と再び会う事。」
肉体には会えません。
でも、もし本当に、死後の世界があるなら、会える方法があるかもしれない。
息子が死後発信した携帯電話の履歴。色んな奇跡。
(詳細は、出版した本にも書かれていますし、このブログの最初の方にも書いています。)
そんな奇跡を辿りながら、11年が経過しました。
わたしの人生の中で、一番継続していることです。
継続できるというのは、一時的な気分の盛り上がりではできません。
どんなに、辛いことがあっても、
どんなに、上手くいかなくても、
どんなに、へたれても、
やっぱりやり続けて行きたいと思う気持ちがなければ継続はできません。
それはまるで、わたしのDNAに刻み込まれているように、
やらずにはおられない。
昨日、サンドイッチマンさんと、芦田愛菜さんがMCをつとめている、博士ちゃん達が紹介されていました。
バブル時代の体験をしたいという少年。
時計が大好きな少年。
味噌を作るのが大好きな少年。
以前には、床屋さんの
このクルクル回るシンボルが大好きで、色んな種類があることや構造を教えてくれました。
きっと彼らに、
「なんで、それが好きなの?」
と問われても、
「好きだから。」
そう答えて、理由も何もないんだと言うのだろうな。
でも、彼らは継続したことで、今、観ている世界がある。
前には、
北斎が大好きで、研究しまくっていて、北斎の原画を観ることができた少年がいました。
その良さを、誰も理解してくれなくても、知ってくれなくても、
探求せずにはいられない。
そして、面白いなぁと思うのは、
そういう人には、必ずその環境がセットされている。ということです。
わたしもそうです。
幸太郎のいる世界を知りたくて、本を買いあさりましたが、
それを止めさせようとする人は、誰もいませんでした。
「わたしが知ったことを伝えたい。」
そう思った時には、その環境がありました。
もっともっと知りたい。
そう思った時には、気づかせてくれる人が必ず現れました。
継続していなければ、この世界を観ることはありませんでした。
継続した人だけが観える世界。
継続することで、法則に気づいていきます。
昨日のテレビの、味噌が大好きな少年は、自分が作った味噌を、自分一人で販売するという決定をします。
「売れなかったらどうするの?」
そんな大人の言葉に、
「売れなかったらじゃなくて、売るんだよ!」
そう言い切った彼は、売るためには、自分が作った味噌が、どんなに美味しいかを実際に食べてもらうことにしました。
直ぐに提供できて、直ぐに食べられる方法。
弟達に試食してもらって、感想を聞いて、また作り直す。
そして、お味噌は完売しました。
法則通りです。