「わたしは、料理を作るのが好き!」
でも、料理屋さんに成りたいとは思わない。
「わたしは、映画を観るのが好き!」
でも、映画監督に成りたいとは思わない。
「わたしは、テニスをやってみたい。」
でも、やってみて、テニスが好きになるかどうかは、わからない。
「わたしは、あの会社で働いてみたい。」
でも、その会社や、仕事が好きになるかどうかは、わからない。
「好き」だからといって、それが「やりたいこと」とは限らないし、
「やりたいこと」だからといって、それが「好き」になるかどうかはわからない。
でも、その「好き」と「やりたいこと」が一致した時は、最強の「やりたいこと」になる。
その「やりたいこと」が「好き」になった時は、最強の「好き」になる。
林 修氏の『日曜日の初耳学』を、時々拝見しています。
2月末だったかに、ドリカムの中村さんが登場されていました。
中村さんの望みは、「吉田を使って稼ぐこと」
その為に中村さんがしていることは、「吉田の願いを叶えること」
Win-Winの関係が、見事に出来上がっているお話しで、観ていて、本当に楽しかった。
もし、中村さんが、「吉田を使って稼ぎたい」からと、吉田さんに、
「ああしろこうしろ、俺の言う通りにしろ。そうすれば、必ず稼がせてやるから。」
な~んてことをしていたら、きっと今のドリカムさんは無かったんだろうなと思いました。
自我の世界にいると、
「自分の願いは叶えたいけど、わたし以外の人の願いを叶えてあげるなんてまっぴらごめん。」
となり、自分の願いだけを押し付けることをしてしまいがちです。
この世界は、鏡の世界なので、
自分の願いを叶えようと思うなら、わたし以外の人の願いを叶える方向へと意識を向かわせる必要があります。
ところが、意味もわからず、この世界の法則も知らずに、誰からかに言われたことをただ単に言われた通りにしているだけでは、ヘトヘトに疲れ倒してしまいます。
この世界は、外の世界があって、その世界に応じて自分が何かを思ったり、行動したりしているように思いますが、実際は、その真逆です。
わたしの想いがあって、その世界が、投影されています。
外に観える世界に、自分の願いが叶う世界を観たいなら、
まずは、自分の願いを叶えてあげる必要があります。
「願いなんて、いつも叶えているわよ。ブランドのバックも買ってるし、好きな服も買ってるし、食べたい物も食べてるし、やりたいこともやってるわ。」
そう思うのも当然ですが、これは、思考の願いを叶えているだけで、
本当のわたしの願いを叶えているわけではありません。
「そろそろ、起きようかな。」
そう言っているのに、
「やっぱり、もうちょっと寝よう。」
「もう、お腹いっぱいだな。」
そう言っているのに、
「もったいないから、全部食べてしまおう。」
「あれ、やってみたいな。」
そう言っているのに、
「めんどくさ。どうせやっても上手くできないんだから、やめておこう。」
わたしの願いを、全く聴こうとしていません。
内側にいるわたし = 本当のわたしの願いを叶え続けていけば、
本当のわたしは、願いは叶うことを信頼していきます。
信頼していけば、当然その世界が、外に観える世界に投影されていきます。
「好きなこと」
「やりたいこと」
この2つと、「願い」がマッチすると、どんどん世界は広がっていきます。
自我の世界は、二元性の世界です。
「好きなこと」が「嫌いなこと」 に反転することもあれば、
「嫌いなこと」が「好きなこと」 に反転することもあります。
「やりたいこと」が「やりたくないこと」 に反転することもあれば、
「やりたくないこと」が「やりたいこと」 に反転することもあります。
今いる環境を、「嫌い」から「好き」に反転できれば、
今いる環境を、「やりたくない」から「やりたい」へ反転できれば、
観える世界は、全く別の世界になっていきます。
※しばらくブログをお休みさせて頂いていましたが、再開しました。
書きたい時に、書いていきたいと思います。