自分の思う気持ちにまかせて言葉を発しています。

 

“イヤだなぁ~”と思えば、言葉も「イヤだなぁ~」となり、

 

“おもしろいなぁ~”と思えば、言葉も「おもしろいなぁ~」となります。

 

 

 

そんな自分が発した言葉が、自分の世界を創造しているなんて、夢にも思いませんでした。

 

 

 

 

この世界・・・というより、わたしの世界には、しくみがあります。

 

「思い通りにはならないけど、思う通りにはなる。」

 

 

 

 

世界には、色々な言葉があります。

 

日本だけでも、方言があって、何を言っているのかさっぱりわからないこともあります。

 

 

それでも、世界中の人に共通するのは、感情です。

 

楽しい、嬉しい、苦しい、辛い、恨む、悔しい、憎む、怒る・・・

 

 

言葉がわからなくても、

 

その人が喜んでいるのか、怒っているのか、悲しんでいるのかはわかります。

 

 

その感情・・・というか想いが、言葉に乗っかってます。

 

 

 

「戦争反対」

 

「平和賛成」

 

どちらも、平和を望んでいます。

 

 

 

だけど、「戦争反対」には、怒り、恐怖、不安、拒否、憎しみ、争い等々、否定が、言葉に乗っかっています。

 

「平和賛成」は、柔らかく、穏やかで、安心、温かさ、仲良し、楽しい等々、肯定が、言葉に乗っかっています。

 

 

 

戦争を反対する気持ち、平和を愛する気持ちは、どちらも同じなのに、どちらの言葉を遣うかで、観える世界が変わっていきます。

 

 

 

だから、

 

「思い通りにはならないけど、思う通りにはなる。」 というしくみがあるなら、

 

何かを思おうとしたら、その思うことを遮って、「幸せ」って、思うようにしてみました。

 

 

2日くらいは楽しかったのですが、3日目くらいから苦しくなってきたので、

 

これは、宇宙の法則の流れに乗っていないことがわかって、止めることにしました。

 

 

 

でも、その検証が教えてくれました。

 

わたしが何かを思おうとして、

 

 

 

それを「幸せ」という言葉で遮ると、とても窮屈で拘束されたような感覚を味わいました。

 

変でしょ? 「幸せ」って、望んでいる言葉なのに。

 

 

 

これは、わたしが何かをやろうとしているのに、止められる感覚と同じでした。

 

 

ちょうど子供に、

 

「それは、危ないからやめなさい。」

 

「そんなことしても、何にもならないから、やめときなさい。」

 

そうやって、転ばぬうちのなんとかで、

 

子どもがやろうとしていることを、親の判断で、止めさせようとするのと同じでした。

 

 

 

それは、大人でも同じです。

 

「こういうふうにやってみたい。」

 

「あれをやってみたい。」

 

そう思っているのに、やらせてもらえない。この時の感覚と同じでした。

 

 

 

 

 

わたし達は、無意識に、心の中で思っています。

 

 

「あの人、あんなことをやってて、バカじゃないの?」

 

「わたしなんかどうせ、何もできないんだから。」

 

 

自分の価値観と誰かの価値観が違うと、心の中で思ったり、言葉に出したり。

 

自分自身を、これもできない、あれもできないと責めたりしています。

 

 

 

人間意識的には、「そんなこと言ってはいけないし、思ってもいけないよ。」と言いたがるかもしれませんが、

 

この、「そんなこと言ってはいけないし、思ってもいけないよ。」という想いが、自分に制限をかけ自由を束縛していたんです。

 

 

 

 

「じゃあ、何を言ってもいいのか」と思われるかもしれませんが、

 

自分の感情を、感情のままに言葉にするのは、

 

 

 

だだをこねる子どもと一緒ですが、

 

 

 

 

まだ、子どもの方が可愛い。

 

 

 

 

何を思ってもいいんです。

 

それを否定すると、余計に否定が膨らんでいきます。

 

それよりも、「そう思ったんだよね。」と、ただ認めることで、否定を肯定へと反転する。

 

それが良いとか悪いとか、そういう基準は、宇宙には存在しません。

 

 

 

人間は、思わないようにすることなどできません。

 

いつも何かを考えています。

 

 

 

ただ、自我を手放していけば、頭の中はとても静かになり、

 

何を思ったかが明確になります。

 

だから、それを認めることもできます。

 

 

 

頭の中が、

 

 

 

こんな状態だと、何を思ったんだか、何を認めればいいんだかわかりませんから、

 

まずは、自我を手放していく必要があります。

 

 

 

 

結局わたしは、自分の想いを遮断せずに、思ったことを「そう思ったんだよね。」と認めることを続けました。

 

そうした結果、わたしの胸の中は、

 

半端ない満足感と、

 

半端ない幸せとで溢れかえり、

 

 

思っていることは、

 

「この世界、最高~!!

 

「めちゃくちゃ幸せ~!!

 

ばかりになってしまいました。

 

 

 

無理に、「幸せ」と思わなくても、そう思うようになってしまいました。

 

「手放せば得られる。」ですね。

 

 

 

 

以前は、「お金がない・・・滝汗」 と、家計簿をつけるのが怖かったのに、

 

以前と今も、特にお金の残高が違うわけでもないのに、

 

お金のことを考えると、

 

「お金、めっちゃ大好き~ラブラブ」 

 

仕事のことを考えると、

 

「仕事、めっちゃ大好き~ラブラブ

 

家族や、わたしの周りに存在する人達のことを考えると

 

「めっちゃ大好き~ラブラブ」 と、

 

 

心の中の草原で、叫び倒しています。ゲラゲラ

 

 

何があってもなくても、半端ない幸せがあります。

 

 

 

「お金がない。困った。」

 

そう思うことも自由ですが、自分の中にある宇宙に素直になって、

 

「お金が欲しい~!!

 

と、本当の素直な気持ちを伝える方が、どうも宇宙は、嬉しいようですよ。笑

 

 

 

自分のことを大切にする人は、周りの人のことも、物も、お金も全て大切にします。

 

宇宙は、そんな人が大好きのようです。ニコニコ